確かだろう
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/07/14 22:45 投稿番号: [5397 / 18519]
>ていうか、師匠のアラビア数字の3なら参加してましたから(w
成宗7年10月丁酉条には三峯島捜得の記事があり、且つ金自周が鬱陵島ではない島に至った旨の記述がある。「謂往年朴宗元 由江原道 發船遭風 不至而還」
つまり朴宗元は三峯島に到達できずに鬱陵島に立ち寄って帰還した事実もまた成宗実録に記されているので、このことから三峯島は鬱陵島で有り得ないことが立証されて居る。
詳細は過去ログを参照したまえ。
三峯島捜得は国家事業であるので、先占の要件の幾つかに合致すると思われる。
1.その主体が「国家」であること。
2.その客体が「無主地」であること。
成宗7年は即ち1476年(15世紀)であるから、17世紀の大谷家の渡航よりも早かったことになる。
3.さて、その領有の意思は朝鮮王朝の地誌に記述されたことで示されている。
例えば「東国輿地勝覧」。
まあ議論があることは否定しないが、最低でも以上の3点は「先占」の要件に合致するものと思う。
ただし、王朝実録の根拠となったより記録が不明なため、断言できるかどうかの判断は留保する。
問題なのは、実効的占有の継続ではないかと思う。
大谷家の松島渡航については、事実として推定可能と思われるが、公文書としての記録が存在しないので「国家」の意思を確認できない。
17世紀以降「倭の松島は朝鮮の于山島」とする見解が朝鮮王国の種々の公文書で定着した事実もあり、当該地域に対する支配権を継続的に公文書で表示した事実をどう解釈するかだろうと思われる。
以上、現時点での愚生の見解として簡単にまとめておいた。
これは メッセージ 5361 (llllowollll さん)への返信です.
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