半月城さま(4)
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/05/31 00:38 投稿番号: [4951 / 18519]
第3期
>1910年、日本は韓国を帝国主義的方法で「併合」したので、国家としての「朝鮮」は消滅して日本の一地方とされました。
私はそれを前提として書き込んだのです。
>7) 1911年『日本水路誌』第6巻、第2編 朝鮮東岸、竹島[Liancourt rocks]
8) 1916年『日本水路誌』第4巻、第1編 本州北西岸、竹島[Liancourt rocks]
9) 1920年『日本水路誌』第十巻上、第2編 朝鮮東岸、竹島[Liancourt rocks]
10) 1933年『朝鮮沿岸水路誌』第1巻 朝鮮東岸及南岸、竹島(タケシマ)
これは、私の期待する結果どおりのご説明です。
先に私はこう書きました。
>その後のものは、朝鮮そのものが日本領であり、水路は便宜的なもの。(4629)
ここで「その後」と書いたのは、1911年度の『日本水路誌』以降のものです。
結論
いろいろとご説明いただき有難うございました。私はあいにくまだまだ手持ちの資料も限られており、不備な点も多いことは自分でも分かっていますが(近所の図書館の限界もあります)、ご覧の通り、関心だけは持って、ぼちぼちやっています。「あたかもお釈迦様の掌中で飛び回って」勉強しているとでもお考え下さい。
でも、残念ながら、半月城さんのお話によって、私はそれなりに納得できるところもあるにしても、首をかしげてしまう部分が決して少なくないのも事実です。いちいち例はあげませんが、サイトを運営して発言をまとめていらっしゃるにしては、粗い部分が多々あるように思います。
こういっては失礼かも知れませんが、半月城さんの分析は、本当にお釈迦様の分析なのでしょうか。
>それを物語るかのように、明治政府が国家事業として制作した地図は1894年に民間から『大日本管轄分地図』として発刊されましたが、そこに竹島=独島は記載されませんでした。
それはそうでしょう。無主地だったのですから。つまり日本に竹島に対する領土意識が積極的にはなかったのですから。
>つぎに「領土編入」以後、海軍は竹島=独島を日本領の「竹島」として認識し、水路誌には“竹島[Liancourt rocks]”として記述しました。一時期、同島を水路誌の日本北西部に記述しましたが、それでも一貫して朝鮮沿岸ないしは朝鮮付属という意識は50年以上も変わることはありませんでした。愼𨉷廈教授の主張のとおりです。
日本領として考えていたが、実は「朝鮮附属」という意識は一貫して変わったことがないという話ですか?そんなことはないでしょう。水路は水路。便宜的なもの。『日本水路誌』の中で竹島が朝鮮沿岸にも島根県側にも記入されたことは必ずしも不思議なことではない。
サッカーで気が散って、返答が間延びしました。では。
>1910年、日本は韓国を帝国主義的方法で「併合」したので、国家としての「朝鮮」は消滅して日本の一地方とされました。
私はそれを前提として書き込んだのです。
>7) 1911年『日本水路誌』第6巻、第2編 朝鮮東岸、竹島[Liancourt rocks]
8) 1916年『日本水路誌』第4巻、第1編 本州北西岸、竹島[Liancourt rocks]
9) 1920年『日本水路誌』第十巻上、第2編 朝鮮東岸、竹島[Liancourt rocks]
10) 1933年『朝鮮沿岸水路誌』第1巻 朝鮮東岸及南岸、竹島(タケシマ)
これは、私の期待する結果どおりのご説明です。
先に私はこう書きました。
>その後のものは、朝鮮そのものが日本領であり、水路は便宜的なもの。(4629)
ここで「その後」と書いたのは、1911年度の『日本水路誌』以降のものです。
結論
いろいろとご説明いただき有難うございました。私はあいにくまだまだ手持ちの資料も限られており、不備な点も多いことは自分でも分かっていますが(近所の図書館の限界もあります)、ご覧の通り、関心だけは持って、ぼちぼちやっています。「あたかもお釈迦様の掌中で飛び回って」勉強しているとでもお考え下さい。
でも、残念ながら、半月城さんのお話によって、私はそれなりに納得できるところもあるにしても、首をかしげてしまう部分が決して少なくないのも事実です。いちいち例はあげませんが、サイトを運営して発言をまとめていらっしゃるにしては、粗い部分が多々あるように思います。
こういっては失礼かも知れませんが、半月城さんの分析は、本当にお釈迦様の分析なのでしょうか。
>それを物語るかのように、明治政府が国家事業として制作した地図は1894年に民間から『大日本管轄分地図』として発刊されましたが、そこに竹島=独島は記載されませんでした。
それはそうでしょう。無主地だったのですから。つまり日本に竹島に対する領土意識が積極的にはなかったのですから。
>つぎに「領土編入」以後、海軍は竹島=独島を日本領の「竹島」として認識し、水路誌には“竹島[Liancourt rocks]”として記述しました。一時期、同島を水路誌の日本北西部に記述しましたが、それでも一貫して朝鮮沿岸ないしは朝鮮付属という意識は50年以上も変わることはありませんでした。愼𨉷廈教授の主張のとおりです。
日本領として考えていたが、実は「朝鮮附属」という意識は一貫して変わったことがないという話ですか?そんなことはないでしょう。水路は水路。便宜的なもの。『日本水路誌』の中で竹島が朝鮮沿岸にも島根県側にも記入されたことは必ずしも不思議なことではない。
サッカーで気が散って、返答が間延びしました。では。
これは メッセージ 4942 (hangetsujoh さん)への返信です.
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