国境画定機関の竹島=独島認識4
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2004/05/30 22:26 投稿番号: [4942 / 18519]
第3期.「韓国併合」以後
1910年、日本は韓国を帝国主義的方法で「併合」したので、国家としての「朝鮮」は消滅して日本の一地方とされました。
<日韓併合条約>
http://www.han.org/a/half-moon/hm039.html#No.267
併合にともない、水路部は『朝鮮水路誌』を絶版にし、かわりに朝鮮の水路を『日本水路誌』第6巻として刊行しました。『日本水路誌』で日本の領土を扱うという原則にしたがったのでした。同誌で竹島=独島は“竹島[Liancourt rocks]”の名称で記述されました。同島は朝鮮沿岸という強固な意識に変わりはなかったようでした。
その一方で、竹島=独島を記述した先の『日本水路誌』第四巻は改版の際にも“竹島[Liancourt rocks]”の項目を残しました。やはり、改版では追加や訂正をしても、削除はほとんど行わないようです。
その後『日本水路誌』第6巻は、改版の際に分量が増えたためか、上・下2冊になり、名称も変更して『日本水路誌』第十巻の上、下として刊行されました。竹島=独島は上巻のほうに“竹島[Liancourt rocks]”の名で記述されました。
その後、第十巻は絶版になり、かわりに『朝鮮沿岸水路誌』第1巻、第2巻として出版されました。誌名にわざわざ「沿岸」の語を挿入したのは「朝鮮国」の水路誌と誤解されない工夫とみられます。
竹島=独島は同誌の第1巻に“竹島(タケシマ)”の名で掲載されました。ここでも同島は朝鮮沿岸という意識そのままだったようです。これらの資料を整理すると下記のようになります。
7) 1911年『日本水路誌』第6巻、第2編 朝鮮東岸、竹島[Liancourt rocks]
8) 1916年『日本水路誌』第4巻、第1編 本州北西岸、竹島[Liancourt rocks]
9) 1920年『日本水路誌』第十巻上、第2編 朝鮮東岸、竹島[Liancourt rocks]
10) 1933年『朝鮮沿岸水路誌』第1巻 朝鮮東岸及南岸、竹島(タケシマ)
結論
以上を総合すると、日本海軍の認識をつぎのようにまとめることができます。まず、竹島=独島を日本へ「領土編入」(1905)する以前は、海軍はリアンコールト列岩(竹島=独島)を朝鮮領と認識していました。
これは、水路部が日本の国境を画定する機関であった以上、この認識はとりもなおさず日本政府の見解そのものになります(注2)。
また、竹島=独島が朝鮮領という認識は単に政府のみならず、竹島=独島にもっともかかわりが深かった漁民、中井養三郎も同様でした。極言すれば、官民ともに同島を朝鮮領と認識していました。
それを物語るかのように、明治政府が国家事業として制作した地図は1894年に民間から『大日本管轄分地図』として発刊されましたが、そこに竹島=独島は記載されませんでした(注5)。これは明治政府の国家最高機関である太政官が1877年の指令で竹島=独島を放棄した経緯があるだけに当然といえます(注6)。
つぎに「領土編入」以後、海軍は竹島=独島を日本領の「竹島」として認識し、水路誌には“竹島[Liancourt rocks]”として記述しました。一時期、同島を水路誌の日本北西部に記述しましたが、それでも一貫して朝鮮沿岸ないしは朝鮮付属という意識は50年以上も変わることはありませんでした。愼𨉷廈教授の主張のとおりです。
これは、竹島=独島が日本の「固有領土」ではなく、朝鮮領と認識されてきた歴史的背景から当然といえます。
(つづく)
1910年、日本は韓国を帝国主義的方法で「併合」したので、国家としての「朝鮮」は消滅して日本の一地方とされました。
<日韓併合条約>
http://www.han.org/a/half-moon/hm039.html#No.267
併合にともない、水路部は『朝鮮水路誌』を絶版にし、かわりに朝鮮の水路を『日本水路誌』第6巻として刊行しました。『日本水路誌』で日本の領土を扱うという原則にしたがったのでした。同誌で竹島=独島は“竹島[Liancourt rocks]”の名称で記述されました。同島は朝鮮沿岸という強固な意識に変わりはなかったようでした。
その一方で、竹島=独島を記述した先の『日本水路誌』第四巻は改版の際にも“竹島[Liancourt rocks]”の項目を残しました。やはり、改版では追加や訂正をしても、削除はほとんど行わないようです。
その後『日本水路誌』第6巻は、改版の際に分量が増えたためか、上・下2冊になり、名称も変更して『日本水路誌』第十巻の上、下として刊行されました。竹島=独島は上巻のほうに“竹島[Liancourt rocks]”の名で記述されました。
その後、第十巻は絶版になり、かわりに『朝鮮沿岸水路誌』第1巻、第2巻として出版されました。誌名にわざわざ「沿岸」の語を挿入したのは「朝鮮国」の水路誌と誤解されない工夫とみられます。
竹島=独島は同誌の第1巻に“竹島(タケシマ)”の名で掲載されました。ここでも同島は朝鮮沿岸という意識そのままだったようです。これらの資料を整理すると下記のようになります。
7) 1911年『日本水路誌』第6巻、第2編 朝鮮東岸、竹島[Liancourt rocks]
8) 1916年『日本水路誌』第4巻、第1編 本州北西岸、竹島[Liancourt rocks]
9) 1920年『日本水路誌』第十巻上、第2編 朝鮮東岸、竹島[Liancourt rocks]
10) 1933年『朝鮮沿岸水路誌』第1巻 朝鮮東岸及南岸、竹島(タケシマ)
結論
以上を総合すると、日本海軍の認識をつぎのようにまとめることができます。まず、竹島=独島を日本へ「領土編入」(1905)する以前は、海軍はリアンコールト列岩(竹島=独島)を朝鮮領と認識していました。
これは、水路部が日本の国境を画定する機関であった以上、この認識はとりもなおさず日本政府の見解そのものになります(注2)。
また、竹島=独島が朝鮮領という認識は単に政府のみならず、竹島=独島にもっともかかわりが深かった漁民、中井養三郎も同様でした。極言すれば、官民ともに同島を朝鮮領と認識していました。
それを物語るかのように、明治政府が国家事業として制作した地図は1894年に民間から『大日本管轄分地図』として発刊されましたが、そこに竹島=独島は記載されませんでした(注5)。これは明治政府の国家最高機関である太政官が1877年の指令で竹島=独島を放棄した経緯があるだけに当然といえます(注6)。
つぎに「領土編入」以後、海軍は竹島=独島を日本領の「竹島」として認識し、水路誌には“竹島[Liancourt rocks]”として記述しました。一時期、同島を水路誌の日本北西部に記述しましたが、それでも一貫して朝鮮沿岸ないしは朝鮮付属という意識は50年以上も変わることはありませんでした。愼𨉷廈教授の主張のとおりです。
これは、竹島=独島が日本の「固有領土」ではなく、朝鮮領と認識されてきた歴史的背景から当然といえます。
(つづく)
これは メッセージ 4941 (hangetsujoh さん)への返信です.
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