竹島

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>Q83

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/05/17 23:33 投稿番号: [4629 / 18519]
水路は水路。軍事的な意味を有するものであって領土を規定するものとは言うことができない。

半月城氏の言うように「当時の日本において領土を画定する部署がまさに海軍の水路部だったからです。つまり、日本海軍の認識は、そのまま日本国家の認識(3905)」であったとすると、例えば次のような展開をどう理解すべきか。

半月城氏の4613と3905の海軍の部分を抜き出すと次の通り。

1)『日本水路誌』(1897年)第4巻関係海図    朝鮮側
2)『日本水路誌』(1907年)第4巻関係海図    日本側
3)『日本水路誌』(1911年)第6巻          朝鮮側
4)『日本水路誌』(1920年)第10巻の上巻     朝鮮側
*参照:1933年水路誌も朝鮮側(大西本)

さて、こうして見てみると、日本は1907年の水路誌だけでは日本側に入れていることに気づく。これはどういうことか。半月城氏の話に従うと、日本が一旦自国領とし、その後、日帝時代に朝鮮側に渡したのであり、関心もなかった、ということになる。

一旦、日本の領土と規定しつつ、しかし、その後、日本(しかも海軍たるもの)は竹島を朝鮮と認識したという話に、説得力はあるだろうか。

普通に考えれば、1897年当時は日本は竹島に積極的な領土意識が無く、無主地程度の認識であったと見るべきではないか(堀和生は日本が自国領と考えなかったことは朝鮮領と認識していたことを指すとしているが、私は無主地と考えたと思う)。だからこそ、1905年の島根県編入があったと見ていい。

1907年の分は、当然に日本領。それは島根県編入を反映したものである。

その後のものは、朝鮮そのものが日本領であり、水路は便宜的なもの。大陸とロシアを意識するにあたり、極めて重要な朝鮮東海岸をとりまとめて足場として考えることは何ら不思議は無い。

結局、1907年の水路誌で日本領と確認できるとして、

その後、「朝鮮の鬱陵島に付属した島であることを知っている日本人たちは獨島を実質的に朝鮮に付属した島として扱ったり、または形式上も実際上もみな朝鮮付属に扱った場合がもっと多かった」と考えるのが、愼𨉷廈氏や半月城氏。

私はとりわけ日韓併合以降において海軍の地図構成は基本的に軍事的・便宜的な要請によるものであり、単に水路は水路でしかないと思う。
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