奥原『竹島及鬱陵島』
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2004/03/21 09:49 投稿番号: [3872 / 18519]
半月城です。
1905年、日本が竹島=独島をこっそり領土編入したのに伴い、翌年、島根県は「竹島視察」および鬱陵島訪問(後述)を行いました。そうした視察などにもとづいて書かれたのが下記の書でした。この書は、竹島=独島および鬱陵島の地理や気候、生物、漁業、沿革などについて記しましたが、そのなかで中井の言動を下記のように伝えました。
奥原福市『竹島 及 鬱陵島』報光社,1907
かくて、海驢捕獲業の有利なるを知り、三十七年の漁期には、各方面より續々渡航し、競争濫獲の結果、種々の弊害を認めたる中井養三郎氏はリヤンコ島を以て朝鮮の領土と信じ、同國政府に貸下請願の決心を起し、三十七年の漁期終るや、直ちに上京して、隠岐出身なる農商務省 水産局員 藤田勘太郎氏に圖り、牧 水産局長に面會して陳述する所ありき。
同氏またこれを賛し、海軍水路部につきて、リヤンコ島の所屬を確めしむ。中井氏 即ち肝付 水路局長に面會して、同島の所屬は、確乎たる徴證なく、ことに、日韓両本國よりの距離を測定すれば、日本の方 十浬近し、加ふるに、日本人にして、同島経營に從事せるものある以上は、日本領に編入する方 然るべしとの説を聞き、中井氏は遂に意を決して、リヤンコ島 領土編入並に貸下願を、内務 外務 農商務三大臣に提出せり。
(半月城通信)
http://www.han.org/a/half-moon/
これは メッセージ 3871 (hangetsujoh さん)への返信です.
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