アホさん2(「続き」へのレス)
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/01/19 19:18 投稿番号: [3181 / 18519]
>整合的に理解するために当時の状況を推測するならば、明治初頭の新政府は版図の拡大に積極的でした。小笠原領有、琉球処分、北海道開拓使、樺太開拓使と云った一連の行動は同時期のものです。しかし新政府の積極的な領土拡張政策に反して、この時期にリャンコ島を領有しなかった事から見ても、当時の状況から隠岐の沖合にある島々は一括して放棄したと整合的に理解できます。
これについては、半月城さんがうまく書いてくださっているので半月城通信をまず引用します。
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初期の明治政府にしてみれば、ささやかな領土問題より、完全統治の及ばなかった北海道の中北部や沖縄などを新たに新政府の支配に組み入れるのに忙しく、ちっぽけな岩島である竹島(独島)にはほとんど関心も知識もなかったとみえます。そのため、松島(竹島=独島)を「外(ほか)一島」と軽く表記し、鬱陵島の付属島くらいにしか考えていなかったようです。のちになると、竹島(独島)はアシカ猟で多少の利用価値がでてきましたが、その当時はほとんど価値がなかったようで、梶村氏はこう記しています。以下、省略。(半月城通信no.62より)
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もちろん、私は「外一島」をリアンクール岩と考えない立場ですが、関心があまりなかったであろうとの推測は半月城さんと一致します。私が想像するに日本が鬱陵島やリアンクール岩に関心を持つのはほぼ1890年代以降のころではないかと思われます。とりわけ日露戦争の頃、それは大変強くなったことでしょう。
もう一つ、日本が積極的にリアンクール岩に触手を動かさなかった理由として考えられることは世論への気遣いも部分的にはあったような気もします。というのは、田辺局長の21号文書に「縦令該島をして韓籍に属せずとも南無人島を開き琉球を藩とするも識者あるいは其■に非ざるを論ず現今の…」云々のくだりがあるからです。
なお、私はのちの経過を見るにつけ日本がリアンクール岩について「無主地」と考えていたものと判断していますが、隠岐の沖合いにある島々を一括して放棄したと考えることが周辺情況を整合的に理解できるとは思えません。
これについては、半月城さんがうまく書いてくださっているので半月城通信をまず引用します。
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初期の明治政府にしてみれば、ささやかな領土問題より、完全統治の及ばなかった北海道の中北部や沖縄などを新たに新政府の支配に組み入れるのに忙しく、ちっぽけな岩島である竹島(独島)にはほとんど関心も知識もなかったとみえます。そのため、松島(竹島=独島)を「外(ほか)一島」と軽く表記し、鬱陵島の付属島くらいにしか考えていなかったようです。のちになると、竹島(独島)はアシカ猟で多少の利用価値がでてきましたが、その当時はほとんど価値がなかったようで、梶村氏はこう記しています。以下、省略。(半月城通信no.62より)
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もちろん、私は「外一島」をリアンクール岩と考えない立場ですが、関心があまりなかったであろうとの推測は半月城さんと一致します。私が想像するに日本が鬱陵島やリアンクール岩に関心を持つのはほぼ1890年代以降のころではないかと思われます。とりわけ日露戦争の頃、それは大変強くなったことでしょう。
もう一つ、日本が積極的にリアンクール岩に触手を動かさなかった理由として考えられることは世論への気遣いも部分的にはあったような気もします。というのは、田辺局長の21号文書に「縦令該島をして韓籍に属せずとも南無人島を開き琉球を藩とするも識者あるいは其■に非ざるを論ず現今の…」云々のくだりがあるからです。
なお、私はのちの経過を見るにつけ日本がリアンクール岩について「無主地」と考えていたものと判断していますが、隠岐の沖合いにある島々を一括して放棄したと考えることが周辺情況を整合的に理解できるとは思えません。
これは メッセージ 3169 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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