おまけ
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/01/19 00:55 投稿番号: [3161 / 18519]
なお、私が半月城通信と堀和生論文に共通して感じることが一つあります。それは于山島を一貫して「独島」ととらえ、それは揺るがない認識として歴史的に一貫してきたと信じていらっしゃることです。
私が考えるに于山島は時に竹嶼であり、ときに観音島であり、またもしかして時には独島でもありうる存在であり、朝鮮にあったのは20世紀までは海に島が二つある、それを鬱陵島・于山島と考えた、という観念だけだったと思われます。
観念的であったからこそ、鬱陵島の西に来たり、南に来たり大きかったり小さかったり、そういうものなのです。于山島は観念の所産であり、実際には20世紀までほとんど正確には把握できていなかったというのが妥当かもしれません。
これは メッセージ 3160 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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