竹島

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

>>>>wkdduddhr770131さん

投稿者: caque_99 投稿日時: 2002/08/17 13:51 投稿番号: [316 / 18519]
>ここでもう一度日本の主張がいくら矛盾なのか現われますね.あなた主張どおり独島(=竹島)が歴史的でも日本の固有領土なら,日本政府は1905年1月に来てからこそその以前には独島が‘主人ない地'であったし‘他の国人々がこれを占有した形跡がない’から今更日本に‘領土編入’すると内閣回の決定をする必要がないのですね..
>独島領土考試を領有権の根拠で入ったら歴史的でも日本の領土だという主張は矛盾した虚構にかかわらないのですね.

いいえ、歴史的に見て日本の領土であってもそれまで領有宣言されていなかったのだから、それをするのは当然です。どこか矛盾してますか?どこも矛盾してませんよね。

あなたこそ島根県に編入されたものが慶尚北道に属すると主張するのは矛盾してますね。ちゃんと説明してもらえませんか。

>その日本人たちがどんな経緯で独島や鬱陵島で向こうが漁業活動をするようになったことが分かるのか?

その経緯についてはわたしが紹介したHPに書いてあります。ちゃんと読んでから返信してください。

>歴史的な根拠を持とうとすれば18世紀以前の古文書や指導に独島が日本の領土で現われるんですあることが必要なことです.

記録はちゃんと残っています。そしてその経緯については韓国側は異論がないのだそうです。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/2800/takeshima/

《17世紀初頭、伯耆国(ほうきこく=現・鳥取県)米子の海運業者だった大谷甚吉(おおやしんきち)が、航海中に暴風に遭い、無人島になった鬱陵島に漂着した。彼は、新島の発見と考え、帰国後、同志の村川市兵衛とはかり、1616年に江戸幕府(1603-1868)から鬱陵島への渡航許可を受ける。鬱陵島はその発見から「竹島」と呼ばれるようになった。大谷、村川両家はその後毎年交替で鬱陵島に渡り、アシカ猟やアワビの採取、木材の伐採などを行い、両家の鬱陵島経営は78年間続けられた。当時鬱陵島へ渡るコースは、隠岐島から松島(現在の呼び方で竹島)を中継地にしていた。大谷、村川両家は、この竹島(旧・松島)の経営をも手がけていた。竹島が航路中の寄港地、漁猟地として利用されアシカ猟を行っていた記録も残っている。江戸幕府は松島に対する渡航許可も1656年に出している。(注意:竹島はむかし松島と呼ばれ、鬱陵島は竹島と呼ばれていた。韓国もこの歴史的経緯・事実に対しては異論は出ていない) 》

1724年には竹島の正確な地図も作成されました。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/2800/takeshima/

《竹島松島之図   in 1724
幕命によって鳥取藩が、大谷、村川両家から鬱陵島周辺海域を聞き調べ作製した図に、竹島松島之図というのがある。この図は1724年に製図されたもであるが、松島の2つの主島(西島と東島)が描かれ、その周りに幾つかの岩礁が書かれている。20世紀に入るまで、韓国ではこのような竹島(旧・松島)の2つの主島が書かれている詳細な地図は存在しない。》

これでもまだ竹島は韓国領だと言い張るのですか?
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)