竹島

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明治10年の内務省、太政官判断

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2004/01/18 17:55 投稿番号: [3136 / 18519]
   半月城です。
   ahirutousagi2さん、RE:2881
>整合的に考えれば「外一島」における内務省と太政官の考えは、何年かの違いはあるにしても、さしあたり鬱陵島=松島としての判断であったと考えていいと申し上げたのです。

   今回もahirutousagi2さんの考えがわかりにくいのですが、ahirutousagi2さんは、明治10(1877)年に内務省や太政官が放棄した「松島」は実は鬱陵島だったという主張でしょうか?   そうなら、その時、内務省や太政官は竹島をどこだと考えて放棄したと主張するのでしょうか?   あるいは内務省や太政官は十分な検討もせずに「国家の重大事」である「版図の取捨」を行ったと主張するのでしょうか?

   ちなみに、内務省や太政官が判断した資料のひとつに下記「由来の概略」がありますが、まぎれようもなく「竹島」=鬱陵島、「松島」=竹島(独島)ではないでしょうか?一体、下記資料のどこから松島=鬱陵島という憶測が生まれるのでしょうか?   それとも下記資料をくつがえすような幻の資料をもとにして「明治10年」に内務省や太政官は松島=鬱陵島と判断したとahirutousagi2さんは想像するのでしょうか?

島根県「由来の概略」の現代語訳
http://www.han.org/a/half-moon/hm082.html#No.565
   磯竹島、あるいは竹島と称する。隠岐国の北西120里(480km)ばかりの
ところにある。周囲およそ10里(40km)である。山は峻険で平地はすくない。
川は3条ある。また滝がある。しかし、谷は深くうっそうと樹木や竹が繁り、
水源を知ることはできない。
   多く目にふれるのは、植物では五りょう松、紫檀、黄蘗(おうばく)、椿、
樫、桐、雁皮(がんぴ)、栂(つが)、竹、マノ竹、コラフ(ニンジン)、蒜
(ひる)、カンドウ(ツワブキ)、ミョウガ、ウド、百合、ゴボウ、グミ、フ
ボンシ(草イチゴ)、虎杖(いたどり)、アラキパである。
   動物では海鹿(うみしか)、猫、ネズミ、ヤマガラ、鳩、鴨、ヒワ、ノガ
モ、鵜(う)、ツバメ、ワシ、クマタカ、タカ、ナヂコアナ鳥、シジュウカラ
の類である。
   そのほかには、辰砂、岩緑青などを見る。魚貝類は枚挙にいとまがない。
なかでもアワビと海鹿が代表的な物産である。アワビをとるのに、夕方に竹を
海に入れ、朝これを引きあげれば、アワビが枝や葉にビッシリ着く。その味は
絶倫とのこと。また、海鹿一頭から数斗(50リットル)の油が得られる。

   次に一島あり。松島と呼ぶ。周囲30町(3.3km)である。竹島と同じ船路
にある。隠岐をへだてる80里(320km)ばかりである。樹木や竹は稀である。
また、魚や獣(アシカか)を産する。

   永禄年間(1558-1569)に伯耆(ほうき)国・会見郡米子町の商人、大屋
(のちに大谷と改名)甚吉が航海で越後より帰るさい、熱帯性低気圧に遭遇し、
この地(竹島=鬱陵島)に漂流した。ついに全島を巡視したところ、すこぶる
魚貝に富んでいるのを知り、帰国の日、検使の阿部四郎五郎 <時に幕名によ
り米子城に居る>にそのおもむきを申し出、以後、渡海を申請した。安部氏が
江戸に紹介して、許可書を得た。じつに元和4年(1618)5月16日である。

   (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
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