竹島

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或いは

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2003/12/27 03:19 投稿番号: [2789 / 18519]
もしかしたら、すでに1882年、李奎遠の調査の時代から観音島が「于山島」と認識されていた可能性はないでしょうか。個人的な想像ですが。住民が、観音島を当時、于山島と呼んだ可能性を考えてみることも面白いのかもしれません。

李奎遠の鬱陵島報告について、半月城通信から引用します。
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(参考資料:半月城通信;1547)
松竹于山などの島を現地に住む人たちは、みな近傍の小島をこれに当てている。しかるに根拠となる地図もなく、また案内の指標もない。晴れた日に高いところに登って遠くを眺めると千里を窺うことができたが、ひとかけらの石も一握りの土もなかった。すなわち鬱陵を于山と称するのは、済州を耽羅と称するごとくである(注1)。
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ここで半月城氏が解釈したように、
耽羅国=済州島+近傍の小島
于山国=鬱陵島+松竹島+于山島
というのは、別に問題がないと思います(大西氏は一島二名との見方ですが)。

また、松竹島が現在のchuk-doを指すというのも同意します。しかし、于山島はどうでしょうか。半月城氏は以下のように解説します。
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なお、李奎遠が高いところから周囲を見渡して「ひとかけらの石」も見なかったことから、李奎遠は于山島の存在を認識していなかったと短絡的にとらえる人がいますが、それは下條式の飛躍というものです。…中略…実際は、李奎遠は松竹島や于山島が見えないような状況で周囲を見渡したに過ぎません。当然、目視しなかったことと認識していないこととは別です。史実は、李奎遠は検察の過程で于山島の存在を名前だけでも確認しました。
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この解釈はどうでしょうか。于山島(独島)が見えないような状況で周囲を見渡したに過ぎないという解釈。ちょっと苦しすぎではないでしょうか。そのまま読めばいいのではないでしょうか。何も見えなかったのです。いくら千里先を見ても。

しかも、半月城氏は続けて「他方、李奎遠の本来の任務である鬱陵島本島の踏査は詳細になされました」と書いています。これは「松竹島や于山島が見えないような状況で周囲を見渡したに過ぎません」というのとはあまり合致しない表現ではないでしょうか。普通、鬱陵島を詳細に踏査した人が松竹島(chuk-do)さえ見ていないような可能性はありません。

もう一つ、住民がちゃんと言っているのです。「松竹于山などの島を現地に住む人たちは、みな近傍の小島をこれに当てている」と。原文は「傍近小島」ですが、そばの小島に松竹島・于山島がある。つまり于山島はあくまでもそんなに遠くないところを指して住民が呼んでいると言っているのです。近いといえば、観音島です。

この時代からすでに観音島を住民たちも于山島と呼んでいたとしたら、この時期の于山なるものの位置付けは氷解します。あくまで想像ですが。古地図などの「于山」なるものはどうも竹島(chuk-do)のように見えるのですが、それがどうして観音島になったかなど、あくまで詳しいことは私には分かりません。

しかし、確かなことは、この時期に住民が「傍近小島」として松竹島(chuk-do)と于山島をあげており、報告者である李奎遠もこの近辺の島以外には何も見えないとしているということです。
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