皇城新聞の謎
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2003/12/25 22:37 投稿番号: [2782 / 18519]
皇城新聞の謎は何といってもあれだけ離れた独島に対する具体的な言及が全く無いことですが、視線をちょっと変えて見ますとこういうこともできます。
附属の小六島のうち最も目立つのが于山島と竹島であるというのが原文かと思いますが、先に鬱陵島の附属各島の大きさを示したように、竹島(chuk-do)と観音島だけが抜きん出て大きく、観音島とて他の小岩の10倍程度の大きさがあります。
とすると、さきの私の①の仮定を取るとするとなぜ皇城新聞での報告であえてほとんど見えない遠く離れた独島とchuk-doだけを取り上げて、観音島を切り捨てたかが問題です。もしも独島であればやはり何らかの説明はあってもよさそうです。
何の前置きもなしに普通で考えれば、鬱陵島の代表的な附属の島を二つあげろと言われれば、やはりchuk-doと観音島です。
また、調査団派遣と同年(1899)の地図、「大韓全図」、大韓帝国学部編「大韓輿地図」が共に鬱陵島の北東部分にある小島を于山としていることは、注目できそうです。これは当時、大韓帝国政府の考え方がそうであったと考えてもいいのではないでしょうか。
これは メッセージ 2781 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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