竹島

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獨島問答Q24-25

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/10/26 22:19 投稿番号: [2650 / 18519]
Q24.その他に日本では「獨島」を日本領と記録した古文献はないのか?

ANS.日本側が現在までに公開発表した古文献には「獨島」を日本領土と記録したものはない。それどころか、今まで知られた日本の古文献において「獨島」を記録した古文献はみなこの島が鬱陵島の付属島嶼であり、朝鮮領と記録しているのである。
   一方、韓日間で古文献資料の調査などを活用し「獨島」領有権を熾烈に展開した過程において日本はすこしでも日本に有利と思われる日本古文献を総動員して論争を展開してきたという事実を考慮すると、非公開の日本の古文献で「獨島」が日本領だったと証明する資料が出てくる可能性はほとんどなく、「獨島」が韓国領と証明する資料が多数出てくる可能性が高まっている。

Q25.日本政府は最近「歴史的」にも「獨島」は日本固有領土と主張し、その根拠として1600年前後から約80年間にわたり日本が免許証を民間人に与え「獨島」を実効的に支配、占有したという証拠があると主張した。日本側の主張は根拠があるのか?

ANS.日本政府がそのように主張する根拠とするのは徳川幕府が日本の漁業家である大谷甚吉と村川市兵衛の両家に 1618年に与えた「竹島渡海免許」と 1661年に与えた「松島渡海免許」である。
   このふたつの「渡海免許」は一見すると「竹島(鬱陵島)と松島(獨島)の占有権を日本の徳川幕府がもっているかのように見えるかも知れないが、その内容をみれば、かえって「竹島(鬱陵島)」と「松島(獨島)」が朝鮮領であることをもっと明確に証明する資料である。なぜなら、このふたつの「渡海免許」は「外国」に渡るときに許可する「免許状」であったためである。
   これは重大な争点なので、その一部始終を調べる必要がある。壬辰倭乱(1592-98)前後、鬱陵島は日本軍(倭寇)に略奪を受け廃墟になってしまった。そこで朝廷は鬱陵島の空島・刷還政策、つまり鬱陵島を空け、そこに入っている民を本土に帰す政策を強化した。

   この直後、日本の伯耆国の米子に居住する大谷甚吉なる者が越後という所を往来した際に颱風にあい遭難して「鬱陵島」に漂着した。大谷が鬱陵島(竹島)を踏査したところ、人が住まない無人島ではあるが水産資源が豊富な宝に満ちた島であることを知った。
   そこで大谷はこの鬱陵島に渡り、漁をしようとした。しかし当時、鬱陵島は人が住んでいないとはいえ、朝鮮の領土であることを知っていたので、鬱陵島(竹島)に渡って漁をするために、まず幕府の許可がかならず必要であった。
   なぜなら鬱陵島が日本領でなく外国の領土なので、国境を越え外国に渡り漁をしても越境罪の処罰をまぬがれるならば、幕府の公式の許可証が必要だったためである。
   そこで大谷は徳川幕府の官吏と通じている村川市兵衛とともに1616年に竹島渡海免許を申請して許可を得ようと運動した。
   その結果、徳川幕府の官吏で当時の伯耆国の太守職をになっていた松平新太郎光政が1618年に大谷・村川両家に「竹島渡海免許」を与えた。

コメント1:韓国の愼𨉷廈氏は「松島(獨島)渡海免許」の存在を信じているようですが、そのような免許状は存在しなかったようです。これは池内敏氏により詳細に研究されましたが、竹島=独島日本領派の塚本孝氏も存在しなかっただろうと記しています。
http://www.han.org/a/half-moon/hm091.html#No.656

コメント2:「竹島(鬱陵島)渡海免許」の形式は奉書船制度による奉書でした。これも御朱印船制度と並んで異国へ渡る際に必要な許可の一形式でした。また、免許の出された年は、最近の研究では 1618年ではなく 1625年と考えられています。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm091.html#No.654
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