世界中がダジュレー島とは別に鬱陵島を認定
投稿者: take_8591 投稿日時: 2010/09/12 00:59 投稿番号: [18435 / 18519]
林子平は、竹島とは別に鬱陵島を描きました。
1855年の英国は、ダジュレー島とは別に于山島鬱陵島を描きました。
『Japan and Korea 1855』
http://collections.lib.uwm.edu/cdm4/item_viewer.php?CISOROOT=/agdm&CISOPTR=704&CISOBOX=1&REC=12
この様に、世界中が、鬱陵島を半島の近くに在る島であり、ダジュレー島とは異なる島であるとの認識を持っていました。原因は、韓国が、『與地勝覧』で「半島から、欝陵島の峯頭の樹木及山根の沙渚が、歴歴可見である」と当時の漢字文化圏の世界に知らせたことにあります。この様に記載されている『與地勝覧』を読んだ者が「鬱陵島を半島の近くに在る島」と認識するのは当然のことです。
1846年の『carte de la Coree』及び1899年の『大韓全図』は、半島の姿形を比較的正確に描いています。この正確性に比較して、鬱陵島の大きさ・属島の数と形は、非常に劣悪です。又、半島の姿形が正確に描かれているとの前提を置く場合、半島からの距離も、『carte de la Coree』は半分程度・『大韓全図』は3分1程度に描かれています。
この様に、李氏朝鮮の末期頃の認識が、『carte de la Coree』及び『大韓全図』が描く鬱陵島は、ダジュレー島とは異なる島であるとの認識を持っていたと認定するに合理性があります。16世紀〜19世紀の朝鮮が、鬱陵島とダジュレー島が同じ島であると認識していたとするには無理があります。
これは メッセージ 18434 (take_8591 さん)への返信です.
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