Re: 誰もリャンコ島を想起していなかった
投稿者: take_8591 投稿日時: 2010/09/11 20:54 投稿番号: [18432 / 18519]
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松島=ダジュレー島を示唆するもの
私は、「明治政府が言葉を使用して意思統一を図っている組織である限り、「松島」の文言を使用した命令・報告が、ある時はダジュレー島とし、又ある時はリャンコ島とすることはあり得ません。(18398)」と主張し、ararenotomo1さんは「松島=ダジュレー島を示唆するものは何もありません(18362)」と主張されます。(註)「示唆」とは「それとなく知らせること。ほのめかすこと。」と定義されます。
そこで、私は、No.18373において「1-01」〜「1-15」の地図を掲げ、明治政府が「松島=ダジュレー島」認識を有していたことを示唆する状況を示しました。
対して、ararenotomo1さんは「明治政府は鬱陵島に松島の名も認めました(18429)」と主張されますが、これは松島がダジュレー島であるかリャンコ島であるかを特定できない状態で、「竹島外一島」を版図外としたという主張なのでしょうか。
又、ararenotomo1さんは「原由之大畧は、松島が竹島へ行く途中の島であることを明確に述べている。(18429)」と主張されますが、誰も「松島が竹島へ行く途中の島である」を争っていません。
又、ararenotomo1さんは「地理に精通していた前島密は、この松島がリャンコ島であることを知っていたようです」と主張されます。しかし、前島密が、『1-07 1867年 勝海舟の大日本沿海略図(18373)』と異なる地理認識を有していたと出来る状況はありません。尚、「鹿児島・対馬から北海道まで日本全土を何度も旅行し、地理には精通していました。(18362)」、「極めて有能な前島密は最新情報に詳しかったでしょう。(18431)」というararenotomo1さんの推論は、前島密が「松島=ダジュレー島」の認識を有していなかった根拠とはなりえません。むしろ、かかる前島密が「松島=ダジュレー島」を否定する言説を残していないことが、明示政府内の「松島=ダジュレー島」認識を示唆するものと言えます。
2 竹島=アルゴノート島の存在性
ararenotomo1さんは「現存せず(nicht vorhanden)と記されたアルゴノート島に比定するなど、全く無意味でしょう。(18429)」と主張されます。
しかし、私が、No.18373で示した15枚の地図の内、「現存せず(nicht vorhanden)と記された」地図は『1856年 アメリカ艦隊ペリー提督の地図』『1855年 ハイネの地図』だけではないでしょうか。余の地図は、日本で作成された地図は、アルゴノート島の実存性を示唆しています。すると、「全く無意味でしょう(18429)」との主張は、全く無意味でしょう。
又、No.18374等で示したように、当時の情報を総合すると、朝鮮が鬱陵島とする島がアルゴノート島である可能性が高かったと認められます。明治政府が自分で確認することなく、「アルゴノート島は現存せず」との決定を下すことはできませんし、「現存せず」の島に名前を付けても何ら問題ないと思われます。
明治13年に天城艦が松島に廻航する迄の間、明治政府はアルゴノート島の実存性を考慮して政策を決定していたとするのが合理的です。
私は、「明治政府が言葉を使用して意思統一を図っている組織である限り、「松島」の文言を使用した命令・報告が、ある時はダジュレー島とし、又ある時はリャンコ島とすることはあり得ません。(18398)」と主張し、ararenotomo1さんは「松島=ダジュレー島を示唆するものは何もありません(18362)」と主張されます。(註)「示唆」とは「それとなく知らせること。ほのめかすこと。」と定義されます。
そこで、私は、No.18373において「1-01」〜「1-15」の地図を掲げ、明治政府が「松島=ダジュレー島」認識を有していたことを示唆する状況を示しました。
対して、ararenotomo1さんは「明治政府は鬱陵島に松島の名も認めました(18429)」と主張されますが、これは松島がダジュレー島であるかリャンコ島であるかを特定できない状態で、「竹島外一島」を版図外としたという主張なのでしょうか。
又、ararenotomo1さんは「原由之大畧は、松島が竹島へ行く途中の島であることを明確に述べている。(18429)」と主張されますが、誰も「松島が竹島へ行く途中の島である」を争っていません。
又、ararenotomo1さんは「地理に精通していた前島密は、この松島がリャンコ島であることを知っていたようです」と主張されます。しかし、前島密が、『1-07 1867年 勝海舟の大日本沿海略図(18373)』と異なる地理認識を有していたと出来る状況はありません。尚、「鹿児島・対馬から北海道まで日本全土を何度も旅行し、地理には精通していました。(18362)」、「極めて有能な前島密は最新情報に詳しかったでしょう。(18431)」というararenotomo1さんの推論は、前島密が「松島=ダジュレー島」の認識を有していなかった根拠とはなりえません。むしろ、かかる前島密が「松島=ダジュレー島」を否定する言説を残していないことが、明示政府内の「松島=ダジュレー島」認識を示唆するものと言えます。
2 竹島=アルゴノート島の存在性
ararenotomo1さんは「現存せず(nicht vorhanden)と記されたアルゴノート島に比定するなど、全く無意味でしょう。(18429)」と主張されます。
しかし、私が、No.18373で示した15枚の地図の内、「現存せず(nicht vorhanden)と記された」地図は『1856年 アメリカ艦隊ペリー提督の地図』『1855年 ハイネの地図』だけではないでしょうか。余の地図は、日本で作成された地図は、アルゴノート島の実存性を示唆しています。すると、「全く無意味でしょう(18429)」との主張は、全く無意味でしょう。
又、No.18374等で示したように、当時の情報を総合すると、朝鮮が鬱陵島とする島がアルゴノート島である可能性が高かったと認められます。明治政府が自分で確認することなく、「アルゴノート島は現存せず」との決定を下すことはできませんし、「現存せず」の島に名前を付けても何ら問題ないと思われます。
明治13年に天城艦が松島に廻航する迄の間、明治政府はアルゴノート島の実存性を考慮して政策を決定していたとするのが合理的です。
これは メッセージ 18431 (ararenotomo1 さん)への返信です.
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