竹島

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誰もリャンコ島を想起していなかった3

投稿者: take_8591 投稿日時: 2010/08/23 18:10 投稿番号: [18400 / 18519]
7   内務省は「外一島」をダジュレー島とした。

>もし、西村捨三が「日本海ニ在ル竹島松島之義」の松島を鬱陵島と認識しているならば、竹島は鬱陵島ですから「竹島(鬱陵島)松島(鬱陵島)之義」となってしまいます。従って西村捨三は、「竹島松島之義」の松島は「本来の松島」、内務省作成の「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」にある「外一島」も、『原由の大畧』にある「次ニ一島アリ松島ト呼フ」の「本来の松島」であり、鬱陵島とは決して考えていなかったと思います。(No.17667)

  明治10年の時、朝鮮名「鬱陵島」がアルゴノート島であるかダジュレー島であるか判然としていなかったのではないでしょうか。
  明治13年に天城艦が松島に廻航することにより、アルゴノート島が存在しない島であり、鬱陵島がダジュレー島であることが確認できました。
  明治14年の島根県は、アルゴノート島が版図外となったので、ダジュレー島は版図内にあると考えていたので、島根県は『日本海内松島開墾之儀ニ付伺』を出しました。
  明治14年の西村捨三は、「竹島松島之儀」という文言を使用しました。
  明治16年の外務省への内達で鬱陵島に「我邦人竹島又は松島と唱ふ」と註記しました。

  これらの歴史的史実から、西村捨三の「竹島松島之儀」は、「アルゴノート島ダジュレー島之儀」又は「竹島又は松島と唱ふ島之儀」と解することができます。ですから、「竹島(鬱陵島)松島(鬱陵島)之義」という解釈は問題ないのですが、松島=リャンコ島という解釈は成り立ちません。当時の明治政府にとって「本来の松島」はダジュレー島のことです。

  又、西村捨三は、「外一島ハ松島ナリ」の註記をしました。これは、「外一島はダジュレー島なり」と解されます。天城艦が松島に廻航する以前に、朝鮮名鬱陵島がアルゴノート島であるかダジュレー島であるかの議論はあったと思いますが、外一島がダジュレー島であるかリャンコ島であるかの議論はなかったと思います。史料的には、西村捨三によって始めて「外一島」の意味付が為されたのです。これは、太政官から内務省(西村捨三)に「外一島」の指定権限が委任されていたと、結果的に認識できます。


8   誰も「リャンコ島」を想起していなかった。

  内務省地理寮は「外一島」を使用していませんし、島根県知事は「外一島」「次に一島」の文言を使用し、内務少輔は別紙1号〜4号を添付し、太政官は「竹島外一島は版図外」の決定をしますが、誰も「リャンコ島」を想起していなかった事が明らかになりました。

  ararenotomo1さんが明らかにしているのは元禄期の松島がリャンコ島を意味することのみで、明治政府がリャンコ島を松島と呼んでいた事実と根拠を明らかにされていません。
  又、「『竹島松島本邦関係無之』という表現を避けたのは、鬱陵島を松島とするシーボルトの誤りが、かなり普及していたからでしょう。」と言われますが、「誤りが普及」認識を有していたのであれば、「誤りを訂正」する命令を発してから、「版図の取捨は重大之事件」の決定するのではないでしょうか。なにせ、「重大之事件」なのですから。

  「竹島外一島は版図外」の指令を解釈するときに、「リャンコ島」を想起した者は誰もいなかったのです。


島根県伺再考
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04-1/takeshima04_j.html
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