あまり関与したくはないのだが
投稿者: nochonggakk 投稿日時: 2003/05/22 11:39 投稿番号: [1828 / 18519]
既に議論済みのことかもしれないけれど、サンフランシスコ条約から「竹島」が削除された経緯については、塚本孝「平和条約と竹島(再論)」(『レファレンス』518,1994)に従うのが賢明だと考えている。
論文中に引用された「1949年12月の講和条約米国草案に対する1950年7月時点における米国務省作成注釈書」(論文の44頁)によれば、竹島が日本領であるとアメリカが判断した最大の根拠は「1905年の島根県編入」に置かれている。したがってサンフランシスコ条約において明示的ではないが示されている竹島帰属問題の論拠は、この「1905年の編入」をどう評価するかにかかってくる。これを正当で揺るぎないものと考えれば日本領となるし、不当な措置だと考えれば日本領ではなくなる可能性も出てくる。
枠組みとしての国際法を絶対牢固なものとして議論することや、個々の日本人の利害と国家の利害とを無前提に同一視した議論の進め方には違和感を感じ続けている。
突拍子もない比喩だが、神戸児童殺傷事件の被害者遺族が、現行法における加害者人権への手厚い保護に比して被害者側人権の軽いことの不当性を訴え、法の不備を改めるよう地道な努力を重ねている姿を思い起こす。
現行の国際法の枠組みでは塚本孝の議論が最もすっきりとしていると感じる。しかし、現行法が絶対に正しいのか?牢固不変たりうる価値をもったものなのか?ここのところにいつも不安を感じている。
これは メッセージ 1826 (nobuo_shoudoshima さん)への返信です.
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