竹島は鬱陵島、アルゴノートは現存しない
投稿者: ararenotomo1 投稿日時: 2010/04/21 23:33 投稿番号: [18248 / 18519]
ahirutousagi2様、ご意見を有難うございます。
ahirutousagi2様は、私が“内務省と太政官の「竹島外一島本邦関係無之」との判断には、島根県提出の文書が最も重要であったと考えます。”と書いたことに対して、“重要であることとそれが基準になることは別問題であると思います。ですから、私はその基準として、島根県の文書が唯一の資料になる根拠はどこにあるのか、と質問した次第です。その質問に「島根県提出の文書が最も重要だったと思います」では、何の根拠の提示にもなっていませんし、まったく回答にはなっていないと思います。”と述べられました。
私には、ahirutousagi2様が使われた「基準」の意味がよく分かりませんが、理解できる範囲でお答え致します。
もしかするとahirutousagi2様は、1867年の勝海舟「大日本国沿海略図」(アルゴノート・ダジュレーが竹島・松島)や1875年の陸軍参謀局「朝鮮全図」(鬱陵島が二つに分かれて竹島・松島)などの翻訳図を、「基準」と考えられているのではないでしょうか。
勝海舟識『大日本國沿海畧圖』は、鬱陵島を松島とし、朝鮮よりに点線で竹島、隠岐よりにリェンコヲルトロックとして二つの小島を載せています。この地図は、シーボルトが竹島に比定したI. Argonautを、「現存せず(nicht vorhanden)」と記したHeineの「日本近海図」なども参考にして、竹島を点線で表しました。しかし、鬱陵島を松島としたシーボルトの誤りは継承しました。日本には隠岐の西北に松島と竹島を描いた、長久保赤水以来の優れた地図があります。竹島は「現存せず」の翻訳図を「基準」として、太政官と内務省が「竹島外一島本邦関係無之」と判断したとは、私には全く理解できません。
また『朝鮮全圖』も、鬱陵島を松島とし、その北西に点線で竹島を描いております。ただし、陸軍参謀局は、松島を朝鮮図に入れ、1877年に作製した木村信卿『大日本全圖』に「竹島松島」を描いていません。従って日本の陸軍は、海軍と同様に、「竹島松島」を日本領とは考えていなかったと思います(No.17667)。
ahirutousagi2様はまた、「政府から出ていた資料がことごとく竹島=アルゴノート、松島=ダジュレーであったことにもっと注目すべきである」と申されました。
しかし、前の投稿で示したように外務省では、田邉太一は無論のこと、鬱陵島の日本領化を企てた渡邉洪基でさえ、「竹嶋洋名アルゴナウト嶋ナル者ハ全ク烏有ノ者ニシテ其松島デラセ嶋ナル者ハ本來ノ竹嶋即チ蔚陵島ニシテ我松嶋ナル者ハ洋名ホルネットロックスナルカ如シ」即ち、アルゴナウトは烏有の島、デラセ(ダジュレー)は本来の竹島=蔚陵島、松島はホルネットロックス=現竹島と、実際は認識していました。
それ故、「政府から出ていた資料がことごとく竹島=アルゴノート、松島=ダジュレーであった」とは決して言えないと思います。鬱陵島をダジュレー=松島とした陸海軍の地図も、アルゴノート=竹島は点線で示していることにもっと注目すべきでしょう。
島根県が内務省に提出した資料は、内務省が地籍編纂のため「竹島」をよく知る島根県に、「旧記古圖等御取調本省エ御伺相成度」と要請して出されたものです。従って私は、島根県提出の資料は、「竹島外一島本邦関係無之」の判断の最も重要な根拠になったと考えます。勿論、他の資料も参考にしたことは否定しませんが、もし竹島を点線で示した翻訳図を「基準」とするならば、烏有のアルゴノートの位置に竹島を描くのは明らかに矛盾します。
しかし、間違いとはいえ、多くの西洋の地図は鬱陵島を松島とし、日本の一部の地図もこれを踏襲しました。そこで寛容な日本政府は鬱陵島に松島の名も認め、「日本称松島一名竹島朝鮮称蔚陵島」と表現しました。勿論、古い文献にある竹島=鬱陵島と松島=現竹島を否定した訳ではありません。このような明治政府の寛容さに、私は敬意を表します。
ahirutousagi2様は、私が“内務省と太政官の「竹島外一島本邦関係無之」との判断には、島根県提出の文書が最も重要であったと考えます。”と書いたことに対して、“重要であることとそれが基準になることは別問題であると思います。ですから、私はその基準として、島根県の文書が唯一の資料になる根拠はどこにあるのか、と質問した次第です。その質問に「島根県提出の文書が最も重要だったと思います」では、何の根拠の提示にもなっていませんし、まったく回答にはなっていないと思います。”と述べられました。
私には、ahirutousagi2様が使われた「基準」の意味がよく分かりませんが、理解できる範囲でお答え致します。
もしかするとahirutousagi2様は、1867年の勝海舟「大日本国沿海略図」(アルゴノート・ダジュレーが竹島・松島)や1875年の陸軍参謀局「朝鮮全図」(鬱陵島が二つに分かれて竹島・松島)などの翻訳図を、「基準」と考えられているのではないでしょうか。
勝海舟識『大日本國沿海畧圖』は、鬱陵島を松島とし、朝鮮よりに点線で竹島、隠岐よりにリェンコヲルトロックとして二つの小島を載せています。この地図は、シーボルトが竹島に比定したI. Argonautを、「現存せず(nicht vorhanden)」と記したHeineの「日本近海図」なども参考にして、竹島を点線で表しました。しかし、鬱陵島を松島としたシーボルトの誤りは継承しました。日本には隠岐の西北に松島と竹島を描いた、長久保赤水以来の優れた地図があります。竹島は「現存せず」の翻訳図を「基準」として、太政官と内務省が「竹島外一島本邦関係無之」と判断したとは、私には全く理解できません。
また『朝鮮全圖』も、鬱陵島を松島とし、その北西に点線で竹島を描いております。ただし、陸軍参謀局は、松島を朝鮮図に入れ、1877年に作製した木村信卿『大日本全圖』に「竹島松島」を描いていません。従って日本の陸軍は、海軍と同様に、「竹島松島」を日本領とは考えていなかったと思います(No.17667)。
ahirutousagi2様はまた、「政府から出ていた資料がことごとく竹島=アルゴノート、松島=ダジュレーであったことにもっと注目すべきである」と申されました。
しかし、前の投稿で示したように外務省では、田邉太一は無論のこと、鬱陵島の日本領化を企てた渡邉洪基でさえ、「竹嶋洋名アルゴナウト嶋ナル者ハ全ク烏有ノ者ニシテ其松島デラセ嶋ナル者ハ本來ノ竹嶋即チ蔚陵島ニシテ我松嶋ナル者ハ洋名ホルネットロックスナルカ如シ」即ち、アルゴナウトは烏有の島、デラセ(ダジュレー)は本来の竹島=蔚陵島、松島はホルネットロックス=現竹島と、実際は認識していました。
それ故、「政府から出ていた資料がことごとく竹島=アルゴノート、松島=ダジュレーであった」とは決して言えないと思います。鬱陵島をダジュレー=松島とした陸海軍の地図も、アルゴノート=竹島は点線で示していることにもっと注目すべきでしょう。
島根県が内務省に提出した資料は、内務省が地籍編纂のため「竹島」をよく知る島根県に、「旧記古圖等御取調本省エ御伺相成度」と要請して出されたものです。従って私は、島根県提出の資料は、「竹島外一島本邦関係無之」の判断の最も重要な根拠になったと考えます。勿論、他の資料も参考にしたことは否定しませんが、もし竹島を点線で示した翻訳図を「基準」とするならば、烏有のアルゴノートの位置に竹島を描くのは明らかに矛盾します。
しかし、間違いとはいえ、多くの西洋の地図は鬱陵島を松島とし、日本の一部の地図もこれを踏襲しました。そこで寛容な日本政府は鬱陵島に松島の名も認め、「日本称松島一名竹島朝鮮称蔚陵島」と表現しました。勿論、古い文献にある竹島=鬱陵島と松島=現竹島を否定した訳ではありません。このような明治政府の寛容さに、私は敬意を表します。
これは メッセージ 18186 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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