竹島=独島とSCAPIN 677号1
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/05/17 23:07 投稿番号: [1801 / 18519]
半月城です。今回から戦後の事情をとりあげたいと思います。
1905年、日本は竹島=独島をこっそり領土編入して同島に軍事望楼を建設しましたが、戦後、日本の植民地支配を脱した韓国はこれらを不当な措置であると非難しました。
具体的には、竹島=独島はカイロ宣言にいう暴力および貪欲(どんよく)により日本が略取した地域に該当するとし、日本はカイロ宣言を順守して竹島=独島の領有意図を放棄すべきだと指摘しました。カイロ宣言は、1943年、日本の領土を次のように制限しました。
「右同盟国の目的は日本国より一九一四年の第一次世界戦争の開始以降に於て日本が奪取し又は占領したる太平洋に於ける一切の島嶼を剥奪すること 並に満州、台湾及澎湖島の如き日本国が清国人より盗取したる一切の地域を中華民国に返還することに在り 日本国は又暴力及貪欲に依り日本国の略取したる他の一切の地域より駆逐せらるべし(注1)」
カイロ宣言自体は米国、英国、中国の共同宣言であり、当時は日本を拘束するものではありませんでした。しかしカイロ宣言は、日本が降伏時にポツダム宣言を受諾したことにより日本を拘束するようになりました。ポツダム宣言の第8項はカイロ宣言の履行をこう規定しました。
「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラレルヘク 又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ(注1)
ポツダム宣言にいう諸小島ですが、国際的取り決めとしては占領軍である連合国総司令部(GHQ)覚書があります。1946年、GHQは指令 SCAPIN 677号を発し、その第3項で竹島=独島やハボマイ、シコタン島を日本の政治、行政区域から切り離しました。連合国は竹島=独島を朝鮮領と認識していたのです。その一方で、第6項でこれは最終的決定ではないと明示されました(注2)。
しかし、この指令以降、竹島=独島の帰属に関する明示的な国際的な取り決めは存在しません。換言すれば、竹島=独島の所属を明文化したものとしては SCAPIN 677号が最後になりました。これは特筆にあたいします。
ところで、竹島=独島が朝鮮領という連合国の認識がどこから生まれたのか、それが明らかになったようです。愼𨉷廈氏によれば、線引きは日本陸軍参謀本部の測量部が作成した「地図区域一覧図」(1936)を参考にして作成されたようでした。
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日本陸軍参謀部は、1936年3月現在の大日本帝国(日本本州、朝鮮、台湾、関東州、樺太を含む)の「地図区域一覧図」を同年4月に刊行したのだが、この地図の目的は大日本帝国に属する全地域を、本州、朝鮮、関東州、台湾、樺太、千島列島、南西諸島、小笠原諸島などにグループを分類することであった・・・ところが日本陸軍参謀部は、独島を“朝鮮区域”に入れたのである。
日本帝国主義が1945年8月15日に降伏し、連合国が大日本帝国を解体するにおよんで、この「地図区域一覧図」が最も重要な資料のひとつになったことは言うまでもない。
なぜなら連合国最高司令部がそれまでの大日本帝国領の特定区域に対して、日本政府の政治的、行政的権利の行使およびその停止を命じる最高司令部の命令第677号を公布したとき、特定地域のグループ分類がこの「地図区域一覧図」とほとんど100%一致したからである。
上の資料が教えているように、日帝治下で独島が行政上、島根県に属したとしても、日本国民はもちろん、日本政府さえもが実際、形式的にも実質的にも、独島を朝鮮領とみなしていた(注3)。
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(つづく)
1905年、日本は竹島=独島をこっそり領土編入して同島に軍事望楼を建設しましたが、戦後、日本の植民地支配を脱した韓国はこれらを不当な措置であると非難しました。
具体的には、竹島=独島はカイロ宣言にいう暴力および貪欲(どんよく)により日本が略取した地域に該当するとし、日本はカイロ宣言を順守して竹島=独島の領有意図を放棄すべきだと指摘しました。カイロ宣言は、1943年、日本の領土を次のように制限しました。
「右同盟国の目的は日本国より一九一四年の第一次世界戦争の開始以降に於て日本が奪取し又は占領したる太平洋に於ける一切の島嶼を剥奪すること 並に満州、台湾及澎湖島の如き日本国が清国人より盗取したる一切の地域を中華民国に返還することに在り 日本国は又暴力及貪欲に依り日本国の略取したる他の一切の地域より駆逐せらるべし(注1)」
カイロ宣言自体は米国、英国、中国の共同宣言であり、当時は日本を拘束するものではありませんでした。しかしカイロ宣言は、日本が降伏時にポツダム宣言を受諾したことにより日本を拘束するようになりました。ポツダム宣言の第8項はカイロ宣言の履行をこう規定しました。
「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラレルヘク 又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ(注1)
ポツダム宣言にいう諸小島ですが、国際的取り決めとしては占領軍である連合国総司令部(GHQ)覚書があります。1946年、GHQは指令 SCAPIN 677号を発し、その第3項で竹島=独島やハボマイ、シコタン島を日本の政治、行政区域から切り離しました。連合国は竹島=独島を朝鮮領と認識していたのです。その一方で、第6項でこれは最終的決定ではないと明示されました(注2)。
しかし、この指令以降、竹島=独島の帰属に関する明示的な国際的な取り決めは存在しません。換言すれば、竹島=独島の所属を明文化したものとしては SCAPIN 677号が最後になりました。これは特筆にあたいします。
ところで、竹島=独島が朝鮮領という連合国の認識がどこから生まれたのか、それが明らかになったようです。愼𨉷廈氏によれば、線引きは日本陸軍参謀本部の測量部が作成した「地図区域一覧図」(1936)を参考にして作成されたようでした。
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日本陸軍参謀部は、1936年3月現在の大日本帝国(日本本州、朝鮮、台湾、関東州、樺太を含む)の「地図区域一覧図」を同年4月に刊行したのだが、この地図の目的は大日本帝国に属する全地域を、本州、朝鮮、関東州、台湾、樺太、千島列島、南西諸島、小笠原諸島などにグループを分類することであった・・・ところが日本陸軍参謀部は、独島を“朝鮮区域”に入れたのである。
日本帝国主義が1945年8月15日に降伏し、連合国が大日本帝国を解体するにおよんで、この「地図区域一覧図」が最も重要な資料のひとつになったことは言うまでもない。
なぜなら連合国最高司令部がそれまでの大日本帝国領の特定区域に対して、日本政府の政治的、行政的権利の行使およびその停止を命じる最高司令部の命令第677号を公布したとき、特定地域のグループ分類がこの「地図区域一覧図」とほとんど100%一致したからである。
上の資料が教えているように、日帝治下で独島が行政上、島根県に属したとしても、日本国民はもちろん、日本政府さえもが実際、形式的にも実質的にも、独島を朝鮮領とみなしていた(注3)。
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(つづく)
これは メッセージ 1661 (hangetsujoh さん)への返信です.
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