竹島

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Re: 竹嶋と松嶋の権原

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/03/23 10:52 投稿番号: [17997 / 18519]
>[竹嶋渡海由来記抜書]ってのは幕府の資料じゃないですよ。

何でそういうレスになるか不明ですが、当たり前のことですよ。漂着者本人も理解していたし、その上に「詮議」があり、「御上聞」があったのではないでしょうか。

情報がないと詮議のしようがない。だから、合理的に判断して一定の情報はあったと推測すると書いているのですよ。

>竹嶋だかなんだか知らないが、とにかく米子の商人が自分たちの都合の良い許可書を手土産を持って依頼に来てるから書いてやったという程度のものです。

こういう書き方はやめましょう、と言っているだけですよ。分かりやすく書いているつもりではあるのですが、意味が分かってもらえませんか。

1620年の件は、1612年のやりとりに端を発しているのではないでしょうか。
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka49/tukoichiran-1853/4-06.jpg

これが、1620年の件に至る。
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka49/tukoichiran-1853/3-06.jpg

第2回の朝鮮通信史は1617年、ここに李景稷の『李石門扶桑録』があるわけです(磯竹弥左衛門の話)。大西氏などは平和友好のために二人を犠牲者としたという感じのようですが、正確なところは不明でしょう。

確かなのは日本も朝鮮も磯竹島の領有を主張したこと、弥左衛門と仁左衛門を秀吉時代からの行為により処罰したこと、この頃、幕府が竹島渡海免許を出していること、松島渡海免許と思われる書状もあるやに記録が残されていること、そういったことです。

>この通航一覧の編集は1853年頃ですので「竹島(朝鮮国属島)」と表記されていますが、事件のあったのは渡海免許が交付されたとする前後となりますので   幕府には鬱陵島=竹島という認識はなかったのでしょう。
大谷家が竹島の詳細な情報を報告していれば幕府は渡海免許を交付するはずがありませんね。

交付するはずがない、ではなく、交付されているのであり、それにあたっては詮議がなされ、また、そこに整合性の乱れはとくに見られないのです。二人が京に送られたことは、理由は何とでもつけられることでしょう。

>そんなことをしたとすれば幕府が竹嶋渡海免許を発行するはずがありませんよ。

こういう決め付けの前に、文書を読みましょう。そこで合理的に何を読み取れるか、ということかと思います。
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