終戦後の経緯
投稿者: akanbei_21c 投稿日時: 2008/09/23 10:41 投稿番号: [17086 / 18519]
■1949年01月:李承晩、政府樹立直後の新年記者会見で日本に対馬島返還を要求。
(この要求はGHQにより「根拠がない」と却下。日本も拒否。)
1949年02月:韓国軍一斉に釜山に集結開始(対馬返還の後押し、または対馬上陸作戦を画策したものと推察)
1949年04月:国連安保理、韓国の国連加入案を否決
1949年05月:米軍から李承晩政権への武器供与を停止
1949年06月:米、韓国撤退完了を発表
1950年01月:米韓軍事援助相互協定調印。が、米は韓国側からの軍事支援要求を拒否。
1950年04月:韓国、空前の大インフレ。年間200%を達成。
■1950年6月 朝鮮戦争始まる
・北朝鮮怒濤の南下、北による統一直前に至る。
・日本に大量の韓国人避難民が到着。
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■同年7月 GHQレッドパージを発動、日本占領方針を転換。
■同年9月 国連軍出動
(安保理事会をソ連が欠席し、拒否権を行使しなかったので国連軍が成立)
・国連軍怒濤の北上、あと少しで南による統一寸前。
・GHQの命令で、旧日本海軍の残存部隊、国連軍に協力し朝鮮戦争で機雷掃海を行う。
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■同年11月 中国共産党 中国義勇軍で参戦。
・38度線付近まで押し返され、戦線膠着。
■1951年7月 休戦会談開始
■同年9月 日本と連合国はサンフランシスコ講和条約調印、
1952年4月に日本が独立回復することが決まる。
■1952年1月
朝鮮戦争のさなか、国連軍の後方基地と機雷掃海を引き受けていた日本に対し、
韓国政府は、日本が独立回復する前に、李ラインを宣言。竹島を電撃占領。
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多くの日本漁船が攻撃され死傷者多数・拿捕された。
(この要求はGHQにより「根拠がない」と却下。日本も拒否。)
1949年02月:韓国軍一斉に釜山に集結開始(対馬返還の後押し、または対馬上陸作戦を画策したものと推察)
1949年04月:国連安保理、韓国の国連加入案を否決
1949年05月:米軍から李承晩政権への武器供与を停止
1949年06月:米、韓国撤退完了を発表
1950年01月:米韓軍事援助相互協定調印。が、米は韓国側からの軍事支援要求を拒否。
1950年04月:韓国、空前の大インフレ。年間200%を達成。
■1950年6月 朝鮮戦争始まる
・北朝鮮怒濤の南下、北による統一直前に至る。
・日本に大量の韓国人避難民が到着。
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■同年7月 GHQレッドパージを発動、日本占領方針を転換。
■同年9月 国連軍出動
(安保理事会をソ連が欠席し、拒否権を行使しなかったので国連軍が成立)
・国連軍怒濤の北上、あと少しで南による統一寸前。
・GHQの命令で、旧日本海軍の残存部隊、国連軍に協力し朝鮮戦争で機雷掃海を行う。
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■同年11月 中国共産党 中国義勇軍で参戦。
・38度線付近まで押し返され、戦線膠着。
■1951年7月 休戦会談開始
■同年9月 日本と連合国はサンフランシスコ講和条約調印、
1952年4月に日本が独立回復することが決まる。
■1952年1月
朝鮮戦争のさなか、国連軍の後方基地と機雷掃海を引き受けていた日本に対し、
韓国政府は、日本が独立回復する前に、李ラインを宣言。竹島を電撃占領。
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多くの日本漁船が攻撃され死傷者多数・拿捕された。
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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