西村捨三の照会3
投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2008/07/26 12:22 投稿番号: [16979 / 18519]
ちなみに最初に紹介した半月城さんの文章は以下のように続いています。これをどのように理解すべきか私は判断に困っています。
(引用開始)
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1881年11月29日、内務省が竹島と松島を版図外とした先述の太政官の指令書を付して、外務省に欝陵島の現状を照会したことがあった。それに対して、外務省は何ら全く異論を申したてていない。そしてその後も1905年に至るまで、外務省が竹島と松島の領有権を分けて扱うようなことは決してしなかったのである。
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外務省が太政官指令書に異論をとなえなかったのは、独自の調査で太政官指令の正しさを認識したためと思われます。(中略)外務省は開拓願いの「今日の松島」が「古来の竹島」と同じであることを確信したのみか、1878年には「今日の松島」すなわち欝陵島の緯度や経度の情報までも海軍の水路雑誌からほぼ正確に知りました。
(引用終わり)
太政官指令後の竹島=独島認識
http://www.han.org/a/half-moon/hm121.htmlこの文章は以下のように解釈できます。
独自の調査で松島と竹島が同じ島であることを知っていた外務省が太政官指令書の松島に関する見解に異論をとなえなかったのは当然である。
もしかして半月城さんは太政官指令書の外一島の松島を鬱陵島であるとお考えなのではないでしょうか???
これは メッセージ 16978 (yabutarou01 さん)への返信です.
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