外務省パンフ批判8、竹島=独島演習地(2)
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2008/05/10 20:54 投稿番号: [16543 / 18519]
このような爆撃事件と同様なことが 1952年にもう一度起きました。第2次独島爆撃事件です。パンフレットに記されたように、日米行政協定にもとづいて設立された日米合同委員会は竹島=独島を爆撃訓練区域に指定し、在日米軍が同島の爆撃を始めました。
それを知ってか知らずか、9月7日、在韓米軍は竹島=独島へ民間の科学調査隊を派遣したいという韓国海軍参謀長からの申請を許可しました。当時は戦争中であり、海上のコントロールは国連軍、実質的には米軍が握っていました。
竹島=独島の爆撃は9月15日と22日の2回おこなわれました。幸い、同島で操業していた韓国人漁夫や海女たちは緊急避難し、かろうじて難を逃れました。また、科学調査隊も竹島=独島へ2キロまで接近した段階だったので遭難をまぬがれ、人的被害はありませんでした(注1)。
この第2次独島爆撃事件により、日米韓の3カ国間で竹島=独島問題がにわかにクローズアップされました。前に書いたように、10月3日、駐日アメリカ大使館は国務省への報告において、日本の領有権主張やそれに対する韓国の根拠ある異議などを考慮し、アメリカがこの問題に巻きこまれる懸念を伝えました。
また、駐韓アメリカ大使館も竹島=独島を訓練場として使用しつづけるのは、アメリカが日韓の領土紛争に巻きこまれる懸念があるとの見解を示しました。
このような出先の大使館の見解に対し、国務省のヤング北東アジア課長は、問題のラスク書簡からサンフランシスコ条約に至る国務省の立場を説明し、国務省は竹島=独島が日本に属するとの立場をとるので、日米合同委員会の射爆場指定は正当化されると説明しました。
ラスク書簡は、たとえ無知に起因するものであれ、外交文書として一旦出されたからには、外交上はそれが国務省の原点になります。
しかし、駐韓米軍や極東空軍の考えはもちろん国務省と異なりました。第2次爆撃事件をめぐって韓国内でアメリカ軍の過失を追求する与論が高まるや、極東空軍のウェイランド司令官は韓国外務部長官の申し入れを受け、1953年2月27日、竹島=独島が韓国領であることを認め、同島の爆撃を中止したことを韓国へ通告しました。
この通告の内容を韓国の国防部長官が発表するや、日本に大きな反響を巻きおこしました。日本に何も連絡しないまま、アメリカ軍が一方的に爆撃中止を発表したので、日本のメンツは丸つぶれでした。しかも、竹島=独島を韓国領とウェイランド司令官が認めたという発表は衝撃的でした。
後日、国務省はウェイランド司令官がそのような見解を示したことはないと否定したようですが、国防部の発表が事実であっても何の不思議もありません。それまでに駐韓米軍は竹島=独島を韓国領として扱い、韓国政府と交渉してきたからです。
また、国務省管轄下の駐韓アメリカ大使館ですら、国務省が竹島=独島を日本領と考えているとは知らずにいました。そのため、臨時代理大使のライトナーは、日米合同委員会の爆撃区域指定は竹島=独島に対する日本の主権をアメリカが承認することになりはしないかなどと懸念を表明したくらいでした。
それも無理はありません。国務省はラスク書簡や同省の見解を日本政府はおろか、関係者である駐韓アメリカ大使館にすら爆撃事件が起きるまで知らせなかったのでした。
そもそも、ラスク書簡は独島をほとんど知らないまま拙速に作成されたうえ、その後の見直しによって竹島=独島は「ある時期、朝鮮王朝の一部であった」事実が判明するなど問題が多かったため、とても公開できるような資料ではありませんでした。
その後も問題のラスク書簡は日本政府に対して数十年間も秘密にされました。それを公開すると領土問題は解決するどころか、ますます激化するとの判断からでした。基本的にアメリカは、日韓両国を反共の防波堤として位置づけ、両国の良好な友好関係を願うと同時に、両国間の領土紛争に巻きこまれるのを避ける政策をとりました。
(つづく)
それを知ってか知らずか、9月7日、在韓米軍は竹島=独島へ民間の科学調査隊を派遣したいという韓国海軍参謀長からの申請を許可しました。当時は戦争中であり、海上のコントロールは国連軍、実質的には米軍が握っていました。
竹島=独島の爆撃は9月15日と22日の2回おこなわれました。幸い、同島で操業していた韓国人漁夫や海女たちは緊急避難し、かろうじて難を逃れました。また、科学調査隊も竹島=独島へ2キロまで接近した段階だったので遭難をまぬがれ、人的被害はありませんでした(注1)。
この第2次独島爆撃事件により、日米韓の3カ国間で竹島=独島問題がにわかにクローズアップされました。前に書いたように、10月3日、駐日アメリカ大使館は国務省への報告において、日本の領有権主張やそれに対する韓国の根拠ある異議などを考慮し、アメリカがこの問題に巻きこまれる懸念を伝えました。
また、駐韓アメリカ大使館も竹島=独島を訓練場として使用しつづけるのは、アメリカが日韓の領土紛争に巻きこまれる懸念があるとの見解を示しました。
このような出先の大使館の見解に対し、国務省のヤング北東アジア課長は、問題のラスク書簡からサンフランシスコ条約に至る国務省の立場を説明し、国務省は竹島=独島が日本に属するとの立場をとるので、日米合同委員会の射爆場指定は正当化されると説明しました。
ラスク書簡は、たとえ無知に起因するものであれ、外交文書として一旦出されたからには、外交上はそれが国務省の原点になります。
しかし、駐韓米軍や極東空軍の考えはもちろん国務省と異なりました。第2次爆撃事件をめぐって韓国内でアメリカ軍の過失を追求する与論が高まるや、極東空軍のウェイランド司令官は韓国外務部長官の申し入れを受け、1953年2月27日、竹島=独島が韓国領であることを認め、同島の爆撃を中止したことを韓国へ通告しました。
この通告の内容を韓国の国防部長官が発表するや、日本に大きな反響を巻きおこしました。日本に何も連絡しないまま、アメリカ軍が一方的に爆撃中止を発表したので、日本のメンツは丸つぶれでした。しかも、竹島=独島を韓国領とウェイランド司令官が認めたという発表は衝撃的でした。
後日、国務省はウェイランド司令官がそのような見解を示したことはないと否定したようですが、国防部の発表が事実であっても何の不思議もありません。それまでに駐韓米軍は竹島=独島を韓国領として扱い、韓国政府と交渉してきたからです。
また、国務省管轄下の駐韓アメリカ大使館ですら、国務省が竹島=独島を日本領と考えているとは知らずにいました。そのため、臨時代理大使のライトナーは、日米合同委員会の爆撃区域指定は竹島=独島に対する日本の主権をアメリカが承認することになりはしないかなどと懸念を表明したくらいでした。
それも無理はありません。国務省はラスク書簡や同省の見解を日本政府はおろか、関係者である駐韓アメリカ大使館にすら爆撃事件が起きるまで知らせなかったのでした。
そもそも、ラスク書簡は独島をほとんど知らないまま拙速に作成されたうえ、その後の見直しによって竹島=独島は「ある時期、朝鮮王朝の一部であった」事実が判明するなど問題が多かったため、とても公開できるような資料ではありませんでした。
その後も問題のラスク書簡は日本政府に対して数十年間も秘密にされました。それを公開すると領土問題は解決するどころか、ますます激化するとの判断からでした。基本的にアメリカは、日韓両国を反共の防波堤として位置づけ、両国の良好な友好関係を願うと同時に、両国間の領土紛争に巻きこまれるのを避ける政策をとりました。
(つづく)
これは メッセージ 16542 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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