外務省パンフ批判8、竹島=独島演習地(1)
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2008/05/10 20:49 投稿番号: [16542 / 18519]
8.竹島=独島の爆撃訓練区域指定
外務省曰「8.竹島は、1952年、在日米軍の爆撃訓練区域として指定されており、
日本の領土として扱われていたことは明らかです。」
単に、この一事だけを取りあげれば、竹島=独島は「日本の領土」という解釈も成立する余地があります。しかし、それでは余りにも早計です。これと正反対の見解を示す資料も存在するからです。
前に記しましたが、1951年6月、在韓米軍のコルター将軍は韓国政府へ竹島=独島を爆撃訓練区域に使用する許可を韓国政府から得ました。この一事だけを取りあげれば、アメリカは竹島=独島を韓国領土として扱ったという結論になりかねません。
これまで度々指摘しましたが、外務省のように資料を恣意的に取捨選択すれば、まるで正反対の結論すら可能です。しかし、そのような我田引水は単なる自己満足に過ぎず、情報隠しのそしりをまぬがれません。重要なのは、相反する見解などを総合的に分析して矛盾の少ない論理を展開することですが、その基本がパンフレットに欠けているようです。
それでは、上記のように相反するアメリカの行動をどう理解したらいいのでしょうか? アメリカは、それら書簡が書かれた一年の間に竹島=独島の領有主体を韓国から日本へと、見方を変えたのでしょうか?
もっと期間を狭めれば、在韓米軍のアクションから2か月もしないうちに、ラスク国務次官補の書簡にみられるように、アメリカは韓国領から日本領へと見方を変えたのでしょうか?
その疑問を解くカギは、コルター書簡とラスク書簡のバックグラウンドにあります。ラスク書簡の背景についてはすでに書いたように、国務省は独島についてほとんど無知でした。その書簡のわずか1週間前に独島をワシントン中の資料で調べたのですが、探せない始末でした。国務省は独島の歴史どころか、存在すら知らなかったのでした。
一方、コルター書簡の背景ですが、在韓米軍はある忘れられない事件のおかげで独島をよく知っていました。その事件とは、韓国が独立する直前、まだ米軍政庁が竹島=独島を管轄していた時に起きた第1次独島爆撃事件です。
1948年6月8日、竹島=独島へ出漁していた韓国人漁夫らが沖縄から飛来したB29の爆撃により数十名が死亡するという悲惨な事件が起きました。この大事件は、韓国独立前の制憲国会でもさっそく取りあげられ、アメリカ軍は窮地に追い込まれました。結局、アメリカ軍は爆撃訓練を中止し、被害者に補償をおこないました。
そのような大事件があったので、韓国独立後、独島を周知している在韓米軍は竹島=独島を管轄する韓国政府から同島の爆撃使用許可を得たのでした。順当な措置です。
結局、竹島=独島を日本領と考えるのか、韓国領と考えるのかという見解の差は、竹島=独島をアメリカの当事者がどれだけよく知っていたのかに起因していたことによります。独島をほとんど知らない国務省は竹島=独島を日本領とし、独島をよく知っていた在韓米軍は同島を韓国領として扱ったのでした。
独島をよく知らなかったのは在日米軍も同様でした。在日米軍およびその意を受けたGHQは第1次独島爆撃事件の時に演習区域の警告を日本だけにおこない、韓国の米軍政庁や韓国政府に知らせなかったようです。その理由としてGHQのマッカーサーと米軍政庁のホッジ将軍との不仲説がささやかれています。
(つづく)
外務省曰「8.竹島は、1952年、在日米軍の爆撃訓練区域として指定されており、
日本の領土として扱われていたことは明らかです。」
単に、この一事だけを取りあげれば、竹島=独島は「日本の領土」という解釈も成立する余地があります。しかし、それでは余りにも早計です。これと正反対の見解を示す資料も存在するからです。
前に記しましたが、1951年6月、在韓米軍のコルター将軍は韓国政府へ竹島=独島を爆撃訓練区域に使用する許可を韓国政府から得ました。この一事だけを取りあげれば、アメリカは竹島=独島を韓国領土として扱ったという結論になりかねません。
これまで度々指摘しましたが、外務省のように資料を恣意的に取捨選択すれば、まるで正反対の結論すら可能です。しかし、そのような我田引水は単なる自己満足に過ぎず、情報隠しのそしりをまぬがれません。重要なのは、相反する見解などを総合的に分析して矛盾の少ない論理を展開することですが、その基本がパンフレットに欠けているようです。
それでは、上記のように相反するアメリカの行動をどう理解したらいいのでしょうか? アメリカは、それら書簡が書かれた一年の間に竹島=独島の領有主体を韓国から日本へと、見方を変えたのでしょうか?
もっと期間を狭めれば、在韓米軍のアクションから2か月もしないうちに、ラスク国務次官補の書簡にみられるように、アメリカは韓国領から日本領へと見方を変えたのでしょうか?
その疑問を解くカギは、コルター書簡とラスク書簡のバックグラウンドにあります。ラスク書簡の背景についてはすでに書いたように、国務省は独島についてほとんど無知でした。その書簡のわずか1週間前に独島をワシントン中の資料で調べたのですが、探せない始末でした。国務省は独島の歴史どころか、存在すら知らなかったのでした。
一方、コルター書簡の背景ですが、在韓米軍はある忘れられない事件のおかげで独島をよく知っていました。その事件とは、韓国が独立する直前、まだ米軍政庁が竹島=独島を管轄していた時に起きた第1次独島爆撃事件です。
1948年6月8日、竹島=独島へ出漁していた韓国人漁夫らが沖縄から飛来したB29の爆撃により数十名が死亡するという悲惨な事件が起きました。この大事件は、韓国独立前の制憲国会でもさっそく取りあげられ、アメリカ軍は窮地に追い込まれました。結局、アメリカ軍は爆撃訓練を中止し、被害者に補償をおこないました。
そのような大事件があったので、韓国独立後、独島を周知している在韓米軍は竹島=独島を管轄する韓国政府から同島の爆撃使用許可を得たのでした。順当な措置です。
結局、竹島=独島を日本領と考えるのか、韓国領と考えるのかという見解の差は、竹島=独島をアメリカの当事者がどれだけよく知っていたのかに起因していたことによります。独島をほとんど知らない国務省は竹島=独島を日本領とし、独島をよく知っていた在韓米軍は同島を韓国領として扱ったのでした。
独島をよく知らなかったのは在日米軍も同様でした。在日米軍およびその意を受けたGHQは第1次独島爆撃事件の時に演習区域の警告を日本だけにおこない、韓国の米軍政庁や韓国政府に知らせなかったようです。その理由としてGHQのマッカーサーと米軍政庁のホッジ将軍との不仲説がささやかれています。
(つづく)
これは メッセージ 16523 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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