竹島

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外務省パンフ批判7、講和条約(3)

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2008/05/05 11:20 投稿番号: [16525 / 18519]
   7月19日、韓国の梁大使はダレスに面会し、独島とパラン島は日本の韓国併合前に韓国領であったので、条約で韓国領に認めるよう要求しました。ダレスは、それが本当なら条約で認めることに何の問題もないと解答しました。
   韓国の要求を受けて、国務省は韓国のいう独島やパラン島がどこにあるのか調査を始めました。ボグスがワシントン中の資料を探したのですが見つからず、韓国から独島の経緯度を聞いて、やっと独島がリアンコールト岩であり、日本名の竹島であることがわかりました。
   一方、暗礁であるパラン島(スコトラロック)はその経緯度を確認できず、韓国政府は領有の主張を断念しました。余談ですが、その後のパラン島は名前が離於(イオ)島となり、海洋科学基地が建設され、8人が宿泊できるほどの基地になりました(注4)。

   歴史に「もし」は禁物ですが、韓国は7月末の時点でダレスがアドバイスしたように竹島=独島の領有根拠を明確に示していたなら、同島の韓国領有が条約で承認された可能性は大でした。しかし、なにせ当時の韓国は戦争中であり、困難な状況のために絶好の機会をのがしました。
   当時の戦局ですが、韓国は首都ソウルを再度奪回し、戦闘のかたわら休戦交渉を始めました。その時までにソウルの支配者が4回も入れ替わるほどの激戦ぶりであり、国は荒廃し、すべてが混乱の極にあり、韓国はとても竹島=独島問題を充分検討できるような状況ではありませんでした。

   同年8月10日、まともな資料を出せない韓国に対して、パンフレットが記すように、ラスク極東担当国務次官補は韓国の要求を拒否する下記の書簡を梁祐燦駐米韓国大使へ送りました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   合衆国政府は、1945年8月9日の日本によるポツダム宣言受諾が同宣言で取り扱われた地域に対する日本の正式ないし最終的な主権放棄を構成するという理論を条約がとるべきだとは思わない。
   独島、または竹島ないしリアンコールト岩として知られる島に関しては、この通常無人である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐島支庁の管轄下にある。この島は、かつて朝鮮によって領有権の主張がなされたとは見られない。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   この書簡を見ると、アメリカは1905年から当時に至るまで竹島=独島は島根県の管轄下にあると勘違いしていたようです。これは竹島=独島の実状を知らないか、あるいは知っていても無視しているのか、ともかく疑問の多い見解です。
   これに対する韓国の反論は2か月近く経過した10月3日になって、やっと韓国の卞栄泰外務部長官からなされました。
   卞長官は、竹島=独島は島根県の管轄下にあるのでなく、SCAPIN 677号で日本の管轄から切り離され、韓国が統治している現状などを訴えました。しかし、時すでに遅く、講和条約が 9月8日に調印された後であり、後の祭りでした。
(つづく)
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