Re: 護郡所管島はチュク島と石島
投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2008/02/03 16:06 投稿番号: [16251 / 18519]
1899年に鬱陵島を調査した禹用鼎の調査報告書には、
>「全島長可為七十里 廣可為四十里 周囲亦可為一百四五十里」
>「本島地形石壁居多 而長可為七十里 廣可為四十里 周囲亦可為一百四五十
>里」
>とあり1882年に鬱陵島を調査した李奎遠の調査報告書にも鬱陵島の周囲は「一
>百四五十里」とあります。
>となると「東西が六十里で南北が四十里なので,合せて二百余里だという」は鬱
>陵本島の 東西・南北と周囲の距離を記したものであって、鬱島郡の管轄範囲
>を表しているとは必ずしもいえないのではないかと私は考えます。
yabutarou01様、私は杉野洋明氏の解釈で良いと思います。
全体として鬱島郡の説明なのに、突如として鬱陵島のみの東西南北の長さが出
てくるのは違和感を感じます。また、ここで鬱島郡の管轄範囲を説明せず、鬱
陵島に限定して東西・南北と周囲の距離を記すことに何か意味があるとは思え
ません。
鬱陵島からチュク島、石島の位置を説明していないのは、「東西が六十里で南
北が四十里」の範囲に入るからと考えるのが自然ではないでしょうか。
勅令第41号でもチュク島、石島の位置は出てきませんが、これも両島とも鬱
陵島の近傍の島なので位置情報をあえて示す必要が無かったのだと考えられま
す。
杉野洋明氏の解釈に従えば、今回発見された資料は直近の大韓新地誌(張志淵
1907年)をはじめとする地誌、地図類とも極めて良く調和します。逆に、東西
六十里南北四十里の範囲を大きくはみ出して鬱島郡の範囲が東へ広がっていた
と考えるならば、当時の地誌、地図類と齟齬を来すことになります。
杉野洋明氏が説明しているとおり、鬱島郡は東西六十里南北四十里の範囲に収
まり、チュク島、石島も当然その範囲内にあると解釈するのが相当と考えま
す。
これは メッセージ 16249 (yabutarou01 さん)への返信です.
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