竹島

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内藤様へ:内藤教授の発言に思う(その2)

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2008/01/10 00:30 投稿番号: [16120 / 18519]
続きまして、内藤様のお考えについて、いくつかのことを申し上げます。

1.
>したがって、当日の私の講演の趣旨を「1877年、日本の太政官が『竹島外一島本邦関係これなし』と決定した太政官指令を根拠に、日本政府は1877年に竹島を自国領でないとしたので、外務省の言う固有領土説は成立しないというものであった」と断定するのは、いかにも下條流の一面的な言いがかりといわなければならない。

そのあとの内藤様の文章に照らして、これのどこが一面的な言いがかりなのか、正直、意味が分かりませんでした。

2.
>島根県が伺書の付属文書として内務省に提出したさいには「大谷家図面」、内務省が太政官に提出した付属文書では「磯竹島略図」であり、下條氏がいっているような「当時使用されていた地図」が参考資料として取りあげられたとは思われない。

太政官の判断において、二つの意見があると思われます。

一つは、太政官に上げられた「大谷家図面」「磯竹島略図」の松島は「現在の目から見て」竹島=独島にほかならない。太政官がほかの資料をあたった証拠もない。だから、外一島は独島という立場。

もう一つは、当時の政府で竹島・松島をどのように認識したのかを文献を整合的に考える立場。太政官にどの資料が提出されたかにとどまらず、当時の政府でどのような考え方がなされていたかを整合的に見る、ということ。この場合、松島=独島はありえない。

普通で考えれば、後者が妥当ではないでしょうか。

島根県が地図を提出した。それの返事が太政官の判断だ。だから、太政官が放棄したのは島根県の地図に出ている独島だ、今の目から見ればまさに竹島だ、というのは、どうにも短絡的な論理ではないでしょうか。

太政官が「大谷家図面」「磯竹島略図」以外の地図を見た証拠を出せ。これでは小学生の喧嘩ではないかと思われます。

何らかの文書が政府に上げられた場合、それに対する返答は、申し出の文書だけが返答の根拠になるのではなく、返答をする側である政府の立場が整合的に考えられるべきであるのは、ある意味で、当たり前のことではないでしょうか。

太政官においても、それは変わりません。

ちなみに、当時の地図では、竹島・松島が正確に認識されてはいませんでした。日本地図においては、竹島・松島が描かれていないか、竹島・松島がアルゴノート・ダジュレーの位置で描かれた地図ばかりのようです。

私の知る限り、竹島(=鬱陵島)・松島(=リアンクール岩)の二島で正確な位置で描かれた政府関係の地図は、存在しないものと思います。
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