竹島

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答えに窮した? 内藤教授の反論2

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2008/01/09 20:12 投稿番号: [16115 / 18519]
   当日のレジュメに明記してあるように、私のこの問題に対する見解は、「1876年10月16日、島根県が内務省に『日本海中 竹島外一島 属否の事』を照会したのに対して、1877年3月、太政官は『竹島外一島の義 本邦関係これなし』と決定した。外一島は松島(現竹島)である」ということである。
   そうである以上、下條氏の質問に対して、内藤が窮したというのは当らない。すでに講演のなかで述べているのであるから、下條氏の質問は何であったかということになる。恐らく、下條氏はつづいて持論を述べるつもりであったと思われる。そのことを予想した私は、直ちに回答することをしなかったため、司会の発言で討論は中断されることになった。

   下條氏の「外一島」についての見解は毎年のように改変されてきている。

   まず2004年の『竹島は日韓どちらのものか』(文春新書)では「太政官による審査は十分とはいえなかった。『竹島外一島』の『一島』が今日の竹島を指すのかそうでないのか、判然としないからである。もしその『一島』が今日の竹島だったとすれば、『本邦関係これなき』というはずがない」と記していた。2005年刊の『竹島、その歴史と領土問題』も同文である。
   ところが、島根県が竹島問題研究会の中間報告として2006年に発行して、県内全戸に配布した『フォトしまね』161号では「外一島とは現在の竹島とみられる」としているのである。
   そして2007年の島根県竹島問題研究会の『最終報告書』では島根県が伺い出た「竹島他一島」と、太政官が判断した「竹島他一島」には違いがあったという。島根県が提出した「磯竹島略図」には、現在の竹島と磯竹島が記載されているが、太政官が「関係なし」とした『公文録』その他の文書には、欝陵島に当る竹島と米子の大谷家が漂着した松島についての記述があっただけで、現在の竹島については何も書かれていない。
   したがって、太政官が「関係なし」とした「竹島他一島」は、二つの欝陵島を指しており、現在の竹島とは関係がなかった。これは当時使用されていた地図に、実在しない竹島(アルゴノート島)と松島(ダジュレー島)が描かれていることに起因するというのである。
   さらに、2007年9月号の『諸君!』誌上では、島根県による竹島と松島の説明で、欝陵島に当る竹島はよいとして、松島についての説明も欝陵島に関するもので、島根県は竹島だけでなく、松島も欝陵島と認識していたという。そしてそうした混乱の原因は、当時使われていたシーボルトの日本図を基にした地図にあり、そこでは竹島をアルゴノート島、松島をダジュレー島として描いていた。しかし両島の緯度はともに現在の竹島のものとは異なっているので、明治政府が決定した「竹島他一島」の「一島」は今日の竹島とすることができないというものである。

   この下條氏の所論には、二つの問題がある。その一つは、関係文書には欝陵島の竹島と、大谷家が漂着した松島についての記述はあるが、現在の竹島について何も書かれていない、松島の記述も欝陵島についてであり、島根県は竹島、松島ともに欝陵島と認識していたというが、果してそうであるかという問題である。
   つづいては、当時使われていた地図は、シーボルトの「日本図」を基にした地図であるといっているが、どのような名称の地図であったかを明らかにすべきであり、その地図を内務省および太政官が参照したとする資料があるのかどうかということである。
(つづく)
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