竹島

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答えに窮した? 内藤教授の反論3

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2008/01/09 20:26 投稿番号: [16116 / 18519]
   まずはじめに、島根県が付属文書として提出した「由来ノ概略」である。そこでは「磯竹島 一ニ竹島ト稱ス」として、隠岐から120里にある竹島の詳細が記されている。そして「次ニ一島アリ、松島ト呼ブ」として、竹島と同一線路にあり、隠岐から80里の位置にある松島について記述する。
   さらにつづけて大谷甚吉漂着のことを記している。この記述を下條氏のように、松島の説明とみることはできず、明らかに竹島についての説明とみるべきで、大谷甚吉が漂着した松島というのは、歴史の事実を無視した曲解といわなければならない。
   したがって、竹島とともに松島についても、島根県は欝陵島と認識していたというのも、記述内容からいっても当らない。

   島根県が伺書の付属文書として内務省に提出したさいには「大谷家図面」、内務省が太政官に提出した付属文書では「磯竹島略図」であり、下條氏がいっているような「当時使用されていた地図」が参考資料として取りあげられたとは思われない。
   ダジュレー島(松島)とかアルゴノート島(竹島)をもちだすためには、シーボルトの「日本図」(1840年)が必要になる。しかし、アルゴノート島は1854年のロシア艦隊バルラダ号の測量で存在が否定されることはよく知られているところで、その後の一時期には、アルゴノート、ダジュレー、リアンクールの三つの島が記載された欧米製地図もあったようであるが、20年を経過した頃には、ダジュレーまたは松島、そしてリアンクールという二つの島だけが記載されるようになる。内務省そして太政官が参照したのであれば、付属文書に地図名が記されていなければならない。

   以上で下條説は全面的に否定されることになる。文献批判を怠ったのは、当の下條氏自身である。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

(つづく)
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