Re: 「壬辰の乱」の俘虜と『西渓雑録』
投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2008/01/04 05:29 投稿番号: [16088 / 18519]
半月城さんへ
>>しかも、それまでの「于山と欝陵はお互いに遠くなく、天候が清明なら望見される」とされる程度であった認識がより具体的になり、「于山島は地勢が低く、くっきり晴れた日に高い所に登らなければ見えない」と明確にされ、描写がより具体的になったことです。そのような島は竹島=独島しかあり得ません。
半月城さんは長々と文章をお書きになりましたが私と下條氏が提示した疑問に全くお答えになっていません。半月城さんは建設的な議論をするお気持ちがあるのでしょうか。最近2ちゃんねるにあれこれ書き込んでいらっしゃるようですが、疑問にちゃんとお答えにならないと半月城さんの意図とは逆の結果になってしまいますよ。。
そんなわけで半月城さんには改めて質問にお答えいただきたいと思います。
「云盖二島去此不甚遠一ハン風可至于山島勢卑不因海氣極芿朗不登最高頂則不可見鬱陵稍峻風浪息則尋常可見」
私はこの文が朝鮮半島から二島(于山と欝陵)が見えると判断した根拠として文章の構造上の問題を根拠に挙げましたが、半月城さんは「去此」の「此」が何を指しているとお考えですか。もし「此」が鬱陵島を指すのであれば、
「鬱陵島と于山島は鬱陵島からそれほど遠くなく于山島は鬱陵島から見えて鬱陵島は鬱陵島から見える。」
という意味になってしまいます。これでは支離滅裂ですよ。。
「中宗実録」
中宗 六年(1511年) 5月 21日の項に
「謂臣曰, 寧海居軍官朴自範云, 江原道武陵島, 與此相望, 夜有火光, 疑是倭船隱接, 或我國逋亡人潛寓。」
とあるのを見れば「去此」の「此」が朝鮮半島(寧海) を指していて世宗実録地理志の「于山武陵二島在県正東海中二島相去不遠風日清明則可望見」の「相去不遠」は「于山と欝陵はお互いに遠くなく」ではなく「(蔚珍) 県と于山欝陵二島はお互いに遠くなく」であって、朝鮮半島から鬱陵島が見えると理解すべきではないでしょうか。
これは メッセージ 16083 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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