竹島

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Re: 「壬辰の乱」の俘虜と『西渓雑録』

投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2008/01/04 05:39 投稿番号: [16089 / 18519]
続きです。

  金正浩の大東地志に「鬱陵島在本縣正東海中   (中略)   自本縣天晴而登高望見則如雲氣」
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2007/11/1863-description-of-ulleungdo-from-kim.h tml

  とあるのは、それまでの世宗実録地理志の「于山武陵二島在県正東海中二島相去不遠風日清明則可望見」・『西渓雑録』の「盖二島去此不甚遠一ハン風可至于山島勢卑不因海氣極芿朗不登最高頂則不可見」をより具体的かつ正確に描写したものではないでしょうか。
  大東地志に「本(蔚珍) 県より高い所に登って望見する」とあるのをみれば『西渓雑録』の「登最高頂」も朝鮮半島から高い所に登ったということですよね。
  半月城さんも

かれ(金正浩)は『世宗実録』地理志や『東国輿地勝覧』など地理志の伝統を受けついだことだけはたしかで、そうした趣旨がかれの著書『大東地誌』『輿國備志』『東輿圖地誌』などにうかがえます。
朝鮮の近代地図「大東輿地図」
http://www.han.org/a/half-moon/hm093.html

とお書きになっています。半月城さんは官撰ではない『西渓雑録』を持ち出していらっしゃいますから、私が官撰ではない地誌や地図を持ち出しても構いませんよね。



  『西溪雑録』「欝陵島」の柳博士のいう第4部には『蔚陵島事蹟』に載っている内容とほぼ同じ張漢相が鬱陵島を検察した際の報告が載せられています。これによると張漢相は鬱陵島で二つの望見しました。

「東方五里許 有一小島 不甚高大 海長竹叢生於一面 霽〓捲之日 入山登中峯 則南北両峯 岌崇相面 此謂三峯也 西望大関嶺透〓之状 東望海中有一島 杳在辰方 而其大未満蔚島三分之一 不過三百余里」

  そのうちの一つ「東方五里許 有一小島 不甚高大 海長竹叢生」とあるのは鬱陵島の北東にある竹の生えている島竹嶼だと考えられます。もう一つ「東望海中有一島 杳在辰方」「東側に海を望んだところ、東南方向に島がひとつかすかにあるが・・・」とあるのは方角から考えて竹島(独島)だと思われます。もし『西溪雑録』「欝陵島」の「于山島勢卑不因海氣極芿朗不登最高頂則不可見」の于山島が竹島(独島)を指していて当時朝鮮半島で于山島は竹島(独島)であると考えられていたとすれば朝鮮の朝廷は「東望海中有一島 杳在辰方」とある島を于山島と考えていたはずです。
  しかし1711年に鬱陵島を検察した朴錫昌が描いた鬱陵島図形には北東方向に「海長竹田所謂于山島」と書かれた島があります。竹島(独島)には竹が生えていませんし同じ「海長竹」という表現が使われているわけですからこの島は「東方五里許」にある「小島」である竹嶼であるはずです。もし当時朝鮮半島で于山島は竹島(独島)であると考えられていたのであれば朴錫昌が竹嶼に「海長竹田所謂于山島」と書き込むはずがないのではないでしょうか。


使いまわしですいません。。。
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