Re: 『西溪雑録』「欝陵島」于山島は松島
投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2008/01/03 13:52 投稿番号: [16079 / 18519]
ararenotomoさん
新年早々ご苦労様です。ararenotomoさんはあくまでも于山島は竹島(独島)であると主張されていますが、ararenotomoさんの主張にはいくつか疑問があります。
>>下條氏は、「天将に暁にならんとし、発船以来、日わずかに■(にちへんに甫)(日暮れ)、すでにして寧海の地面に到る」(暁の空になろうとする頃に欝陵島を出発し、日暮れ少し前に寧海に到った)と、「發船以來日」を「発船以来、日」と解釈しました。即ち、「来日」(今より後に来る日。あす。『広辞苑』)という熟語を無視しました。そして「半日の航程」としたわけですから、これは明らかに誤読でしょう。
確かに「来日」という単語は存在しますが、「以来」という単語の方がよりメジャーですから「發船以來・日」と分けるべきか「發船以・來日」と分けるべきか私にはよく分かりません。いずれにせよ寧海と鬱陵島との間が近いということであって、半日か一日半かは本質的な議論ではありませんね。
>>朴世堂は、「欝陵或曰武陵 - - 登高望之」と高く登り之(欝陵島)を望めば「三峰キフゲフ(キフ山の下に及とゲフ山の下に業:山の険しく高き貌)- - 南峰稍低」と、高所から見た欝陵島の地形を説明しました。次の「日初出時風恬浪靜則 - - 青岩壑呈露沙汀樹木歴々可指」は、『輿地勝覧』の「風日清明則峯頭樹木及山根沙渚歴歴可見」に相当しますが、朴世堂は、欝陵島の高所から眼下の「沙汀」の「樹木」が「歴々可指」指さして示せるほど明らかに見える、と結びました。
ararenotomoさんは欝陵島の高所から鬱陵島の低所にある「衆峰攢青岩壑呈露沙汀樹木」を見たと解釈されていますが、私はそうは思いません。「風恬浪靜則 可指」(風がおだやかで波が静かならば 見える)という文言があります。これは水平線の間際に鬱陵島があるので波が高いと波が邪魔で見えないということであり、海を隔てたどこかから鬱陵島を見たとしか解釈できません。欝陵島の高所から眼下の「衆峰攢青岩壑呈露沙汀樹木」を見たのであれば波の状態如何で見えやすさが変化するはずがありません。
>>朴世堂は、僧からの伝聞として、于山島を「云盖二島(于山と欝陵)去此不甚遠一ハン(馬の右に風:風が船を吹いて進める『大漢和辭典』)風可至于山島勢卑不因海氣極芿朗不登最高頂則不可見」とさらに詳しく記述しました。この記述からは、于山島は日本人が称する松島を指しているとしか考えようがありません
私はこの文が朝鮮半島から二島(于山と欝陵)が見えると判断した根拠として文章の構造上の問題を根拠に挙げましたが、ararenotomoさんは「去此」の「此」が何を指しているとお考えですか。もし「此」が鬱陵島を指すのであれば、
「盖二島去此不甚遠一颿風可至于山島勢卑不因海氣極芿朗不登最高頂則不可見鬱陵稍峻風浪息則尋常可見」
の部分は
「鬱陵島と于山島は鬱陵島からそれほど遠くなく于山島は鬱陵島から見えて鬱陵島は鬱陵島から見える。」
という意味になってしまいます。これでは支離滅裂ですよ。。
新年早々ご苦労様です。ararenotomoさんはあくまでも于山島は竹島(独島)であると主張されていますが、ararenotomoさんの主張にはいくつか疑問があります。
>>下條氏は、「天将に暁にならんとし、発船以来、日わずかに■(にちへんに甫)(日暮れ)、すでにして寧海の地面に到る」(暁の空になろうとする頃に欝陵島を出発し、日暮れ少し前に寧海に到った)と、「發船以來日」を「発船以来、日」と解釈しました。即ち、「来日」(今より後に来る日。あす。『広辞苑』)という熟語を無視しました。そして「半日の航程」としたわけですから、これは明らかに誤読でしょう。
確かに「来日」という単語は存在しますが、「以来」という単語の方がよりメジャーですから「發船以來・日」と分けるべきか「發船以・來日」と分けるべきか私にはよく分かりません。いずれにせよ寧海と鬱陵島との間が近いということであって、半日か一日半かは本質的な議論ではありませんね。
>>朴世堂は、「欝陵或曰武陵 - - 登高望之」と高く登り之(欝陵島)を望めば「三峰キフゲフ(キフ山の下に及とゲフ山の下に業:山の険しく高き貌)- - 南峰稍低」と、高所から見た欝陵島の地形を説明しました。次の「日初出時風恬浪靜則 - - 青岩壑呈露沙汀樹木歴々可指」は、『輿地勝覧』の「風日清明則峯頭樹木及山根沙渚歴歴可見」に相当しますが、朴世堂は、欝陵島の高所から眼下の「沙汀」の「樹木」が「歴々可指」指さして示せるほど明らかに見える、と結びました。
ararenotomoさんは欝陵島の高所から鬱陵島の低所にある「衆峰攢青岩壑呈露沙汀樹木」を見たと解釈されていますが、私はそうは思いません。「風恬浪靜則 可指」(風がおだやかで波が静かならば 見える)という文言があります。これは水平線の間際に鬱陵島があるので波が高いと波が邪魔で見えないということであり、海を隔てたどこかから鬱陵島を見たとしか解釈できません。欝陵島の高所から眼下の「衆峰攢青岩壑呈露沙汀樹木」を見たのであれば波の状態如何で見えやすさが変化するはずがありません。
>>朴世堂は、僧からの伝聞として、于山島を「云盖二島(于山と欝陵)去此不甚遠一ハン(馬の右に風:風が船を吹いて進める『大漢和辭典』)風可至于山島勢卑不因海氣極芿朗不登最高頂則不可見」とさらに詳しく記述しました。この記述からは、于山島は日本人が称する松島を指しているとしか考えようがありません
私はこの文が朝鮮半島から二島(于山と欝陵)が見えると判断した根拠として文章の構造上の問題を根拠に挙げましたが、ararenotomoさんは「去此」の「此」が何を指しているとお考えですか。もし「此」が鬱陵島を指すのであれば、
「盖二島去此不甚遠一颿風可至于山島勢卑不因海氣極芿朗不登最高頂則不可見鬱陵稍峻風浪息則尋常可見」
の部分は
「鬱陵島と于山島は鬱陵島からそれほど遠くなく于山島は鬱陵島から見えて鬱陵島は鬱陵島から見える。」
という意味になってしまいます。これでは支離滅裂ですよ。。
これは メッセージ 16073 (ararenotomo さん)への返信です.
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