竹島

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日本の竹島=独島領土編入1

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/04/13 13:12 投稿番号: [1576 / 18519]
五   竹島=独島の領土編入

  日露戦争の時局柄、日本はリアンクール島(竹島=独島)を軍事的に必要としていたが、同島を領土編入するきっかけになったのは、日露戦争中に提出された一漁師の同島「貸下願」であった。まずはこの「貸下願」が出されるに至った経緯をみることにする。
  明治維新以後、対外膨張の気運に乗り多くの日本人が竹島(鬱陵島)に渡航するようになった。当時、朝鮮政府は鬱陵島を空島にしていたが、日本人の移住は空島政策を転換させる契機になった。一八八一年、朝鮮政府は日本人の渡航禁止を日本政府に申し入れるとともに、翌年十二月「鬱陵島開拓令」を発布し開拓に乗り出した。
  こうした朝鮮の措置に日本政府は八三年に島内の日本人を強制帰国させたが、その後も日本人の無断渡航は絶えなかった。朝鮮政府の日本人退去要求は、八八年、九五年、九八年、九九年、一九〇〇年とたびたび出されるようになった。
  九八年以降、毎年のように退去要求が出されたのは、日清戦争に勝利した日本政府が一八九八年に遠洋漁業奨励法、一九〇二年に外国領海水産組合法を制定し、一貫して海外進出を奨励し、官民一体となって朝鮮の漁場へなだれ込むようになったからである。その結果、鬱陵島には日本人警官が常駐するまでになった。
  それにともない、鬱陵島への途中航路に当たるリアンクール島が注目されるようになった。とくに同島のアシカは日露戦争直前になると皮革や油の高値相場から注目され、アシカ猟が盛んになった。そのなかで漁師の中井養三郎は同島におけるアシカ猟の独占をはかるため、一九〇四年九月二十五日「りゃんこ島領土編入並ニ貸下願」を内務・外務・農商務の三省に提出した。「りゃんこ島」とはリアンクール島のことである。中井は「貸下願」を出した経緯を隠岐島庁へ提出した履歴書の付属書でこう記した(29)。

  「本島ノ鬱陵島ヲ(ママ)付属シテ韓国ノ所領ナリト思ハルルヲ以テ、将ニ統監府ニ就テ為ス所アラントシ上京シテ種々画策中、時ノ水産局長牧朴眞ノ注意ニ由リテ必ラズシモ韓国領ニ属セザルノ疑ヲ生ジ、其調査ノ為種々奔走ノ末、時ノ水路部長肝付将軍断定ニ頼リテ本島ノ全ク無所属ナルコトヲ確カメタリ。
  依テ経営上必要ナル理由ヲ具陳シテ、本島ヲ本邦領土ニ編入シ且ツ貸付セラレンコトヲ内務外務農商務ノ三大臣ニ願出テ、願書ヲ内務省ニ提出シタルニ、内務当局者ハ此時局ニ際シ韓国領地ノ疑アル莫荒タル一箇不毛ノ岩礁ヲ収メテ、環視ノ諸外国ニ我国ガ韓国併呑ノ野心アルコトノ疑ヲ大ナラシムルハ、利益ノ極メテ小ナルニ反シテ事体決シテ容易ナラズトテ、如何ニ陳弁スルモ願出ハ将ニ却下セラレントシタリ。
  斯クテ挫折スベキニアラザルヲ以テ、直ニ外務省ニ走リ、時ノ政務局長山座円二郎氏ニ就キ大ニ論陳スル所アリタリ。氏ハ時局ナレバコソ其領土編入ヲ急要トスルナリ、望楼ヲ建築シ無線若クハ海底電信ヲ設置セバ敵艦監視上極メテ届竟ナラズヤ、特ニ外交上内務ノ如キ顧慮ヲ要スルコトナシ、須ラク速カニ願書ヲ本省ニ回附セシムベシト意気軒昂タリ。此ノ如クニシテ、本島ハ竟ニ本邦領土ニ編入セラレタリ」

  リアンクール島(竹島=独島)をよく知る中井が同島は鬱陵島附属であり、かつ韓国領であると判断していたことは注目される。これは鬱陵島の韓国人がリアンクール島を「独島」と呼称していたことと関連するのであろう。軍艦新高の一九〇四年九月二十五日付の日誌は「松島ニ於テ『リアンコルド』岩 実見者ヨリ聴取リタル情報」と明記して「『リアンコルド』岩 韓人之ヲ独島ト書シ本邦漁夫等畧シテ『リヤンコ』島と呼称セリ」と記したのである(30)。
  リアンクール島を朝鮮領と認識していたのは内務省も同様であった。同省は、一八七七年「竹島外一島」すなわち鬱陵島とリアンクール島を朝鮮領と考え放棄していた経緯もあり、当初「韓国領地ノ疑アル」リアンクール島の領土編入に猛反対であった。
(つづく)
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