于山島はチクトウ(竹島)? 下條批判4
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/08/19 20:43 投稿番号: [15734 / 18519]
以上の史料をまとめると、于山島について日朝の間で下記のような認識があったことが読み取れます。
1.日本でいう竹嶋は、東莱府などの官衙では欝陵島と呼ばれ、対馬藩ではウルチントウと聞取っていた。しかし、安龍福など漁夫の間ではその名は通じず、ムルグセム(セミ)と呼ばれていた。この名は『世宗実録』の武陵(Mu Leung)島と発音が通じる。
2.東莱府では欝陵島の他に于山島、および名の知れぬ島を認識していた。
3.対馬の通訳が聞いた朝鮮人は、欝陵島の北東にかすかに見えるブルンセミという島があることを認識していた。
4.漁夫の間では欝陵島から一日の航路の所に大きな于山島があることが知られていた。安龍福はその存在を仲間から知らされた。かれはその方向を欝陵島の北東と認識している。
このように整理すると、ある共通点に気がつきます。于山島もブルンセミも欝陵島の北東に位置することです。しかも、于山島までの距離は一日の航路なので、かすかに見えるというブルンセムの記述にも合います。
このブルンセミは于山島と思われますが、これを研究者はどう考えているのか調べることにします。名古屋大学の池内敏氏はこう記しました。
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プルンセミ之儀嶋違ニ而御座候 具承届候処 ウルチントウト申嶋ニ而御座候(「おそれながら口上の覚え」第1条傍線部)
ブルンセミ之儀者ウルチントウより北東にかすかに相見申由承候事(第1条後半、上記のすぐ後に続く)
・・・・・
ブルンセミは欝陵島の北東に微かに見える島のこと(第1条後半)となり、ブルンセミは欝陵島とは別の島であって(「嶋違ニ而御座候」)欝陵島はウルチントウのことであるというのが第1条傍線部の趣旨であろうか。もっともこれでは竹島とブルンセミとの関係については何の返答にもなっていない。
・・・・・
ブルンセミの「セミ」とムルグセムの「セム」はおそらく「島」を意味する朝鮮語に間違いない。「ブルン」は「欝陵」ないし「武陵」の、またムルグは「武陵」の朝鮮読みと見て大過なかろうから、結局のところブルンセミにせよムルグセミにせよ欝陵島を指している(注7)。
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池内氏は「ブルンセミは欝陵島とは別の島」という趣旨を理解しながら、ただ単に「ムルグ」と「武陵」とが発音が似ているという理由だけで、いとも簡単にブルンセミは欝陵島であると結論づけてしまったようです。
次は田川孝三氏ですが、意外なことにブルンセミは于山島であると主張しました。意外と記したのは、同氏は日韓両政府の領有権論争において日本政府のブレーンとして活躍した人だからです。
その一環として、同氏は韓国政府が参照していた『粛宗実録』などを痛烈に批判しました。すなわち、同書における安龍福の証言を「犯罪者の供述書に出ずるものをとって、無批判にも適宜摘録転載したものに過ぎない」「供述者の虚構と誇張に満ちたものであった(注8)」などと批判しました。
その人が「取扱注意」の警告印が押された研究論文「于山島について」にて下記のように記したことは注目に値します。
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以上要するに高瀬八右衛門に語った朝鮮訳官の言にある彼の方角に三島あり、と云う所説と、安龍福の言と、及び中山通詞の尋ねた鮮人の言とこの三つが問題になるわけである。
(A)譯官の言は三島ありと云ふのみで、その遠近、方位は全く觸れてゐない。只ここで確なことは、三島の中 一は欝陵島、一は于山島と云ふことである。
(B)中山通詞の尋ねし鮮人の言では、その名稱は誤りと思はれるが、兎も角 欝陵島よりかすかに見える島が北東に存すると云ふこと
(C)安龍福等は、欝陵島の北東に現に二度目堵した島を于山島とあると聞かされ、その距離は大体一日路であり、大いなる島であると云ふことである。
・・・・・
もし、この三島(欝陵島、竹嶼、観音島)を以て前記訳官の言に比定するとせば、欝陵島は云ふまでもなく、于山島は竹島(竹嶼)に当てねばならない。
(つづく)
1.日本でいう竹嶋は、東莱府などの官衙では欝陵島と呼ばれ、対馬藩ではウルチントウと聞取っていた。しかし、安龍福など漁夫の間ではその名は通じず、ムルグセム(セミ)と呼ばれていた。この名は『世宗実録』の武陵(Mu Leung)島と発音が通じる。
2.東莱府では欝陵島の他に于山島、および名の知れぬ島を認識していた。
3.対馬の通訳が聞いた朝鮮人は、欝陵島の北東にかすかに見えるブルンセミという島があることを認識していた。
4.漁夫の間では欝陵島から一日の航路の所に大きな于山島があることが知られていた。安龍福はその存在を仲間から知らされた。かれはその方向を欝陵島の北東と認識している。
このように整理すると、ある共通点に気がつきます。于山島もブルンセミも欝陵島の北東に位置することです。しかも、于山島までの距離は一日の航路なので、かすかに見えるというブルンセムの記述にも合います。
このブルンセミは于山島と思われますが、これを研究者はどう考えているのか調べることにします。名古屋大学の池内敏氏はこう記しました。
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プルンセミ之儀嶋違ニ而御座候 具承届候処 ウルチントウト申嶋ニ而御座候(「おそれながら口上の覚え」第1条傍線部)
ブルンセミ之儀者ウルチントウより北東にかすかに相見申由承候事(第1条後半、上記のすぐ後に続く)
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ブルンセミは欝陵島の北東に微かに見える島のこと(第1条後半)となり、ブルンセミは欝陵島とは別の島であって(「嶋違ニ而御座候」)欝陵島はウルチントウのことであるというのが第1条傍線部の趣旨であろうか。もっともこれでは竹島とブルンセミとの関係については何の返答にもなっていない。
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ブルンセミの「セミ」とムルグセムの「セム」はおそらく「島」を意味する朝鮮語に間違いない。「ブルン」は「欝陵」ないし「武陵」の、またムルグは「武陵」の朝鮮読みと見て大過なかろうから、結局のところブルンセミにせよムルグセミにせよ欝陵島を指している(注7)。
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池内氏は「ブルンセミは欝陵島とは別の島」という趣旨を理解しながら、ただ単に「ムルグ」と「武陵」とが発音が似ているという理由だけで、いとも簡単にブルンセミは欝陵島であると結論づけてしまったようです。
次は田川孝三氏ですが、意外なことにブルンセミは于山島であると主張しました。意外と記したのは、同氏は日韓両政府の領有権論争において日本政府のブレーンとして活躍した人だからです。
その一環として、同氏は韓国政府が参照していた『粛宗実録』などを痛烈に批判しました。すなわち、同書における安龍福の証言を「犯罪者の供述書に出ずるものをとって、無批判にも適宜摘録転載したものに過ぎない」「供述者の虚構と誇張に満ちたものであった(注8)」などと批判しました。
その人が「取扱注意」の警告印が押された研究論文「于山島について」にて下記のように記したことは注目に値します。
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以上要するに高瀬八右衛門に語った朝鮮訳官の言にある彼の方角に三島あり、と云う所説と、安龍福の言と、及び中山通詞の尋ねた鮮人の言とこの三つが問題になるわけである。
(A)譯官の言は三島ありと云ふのみで、その遠近、方位は全く觸れてゐない。只ここで確なことは、三島の中 一は欝陵島、一は于山島と云ふことである。
(B)中山通詞の尋ねし鮮人の言では、その名稱は誤りと思はれるが、兎も角 欝陵島よりかすかに見える島が北東に存すると云ふこと
(C)安龍福等は、欝陵島の北東に現に二度目堵した島を于山島とあると聞かされ、その距離は大体一日路であり、大いなる島であると云ふことである。
・・・・・
もし、この三島(欝陵島、竹嶼、観音島)を以て前記訳官の言に比定するとせば、欝陵島は云ふまでもなく、于山島は竹島(竹嶼)に当てねばならない。
(つづく)
これは メッセージ 15733 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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