于山島はチクトウ(竹島)? 下條批判2
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/08/19 20:37 投稿番号: [15732 / 18519]
元禄6(1693)年、対馬藩は幕府の命により、朝鮮人が竹島(欝陵島)へ入島しないように朝鮮政府に求める外交交渉「竹島一件」を始めました。その直前、朝鮮領の「磯竹」はよく知っていても「竹島」の名をよく知らない対馬藩は「竹島」の事前調査をおこないました。
6月5日、国元家老の杉村采女は、東莱の倭館に滞在していた通詞(通訳)の中山加兵衛に訓令を発し、下記事項を懇意の朝鮮人に内密に尋ねるよう命じました。それが『竹島紀事』8月23日条にこう記されました。
1.竹嶋は朝鮮でブルンセミと称している由であるが、ブルンセミはどのように書くのか、欝陵島という島があるが、これを下々ではブルンセミというのではないか。
日本では竹嶋のことを磯竹といっている。欝陵島とブルンセミは別の島なのか。ブルンセミを日本人が竹嶋といっているのは誰の話として聞いているのか。
・・・・・
1.竹嶋は朝鮮のどの方角にあたり、どこからどの方向の風に乗り、海路はどれくらいで、島の大きさはどれくらいか。
この質問に対し、通訳の中山は6月13日付の書付で下記のように回答しました。
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今年もその島へ稼ぎのため釜山浦より商売船が3艘出かけたと聞いています。ハンビチャグという異国の者を加え、島の様子や諸事を見届け、海路に至るまで入念にと申し付けましたので、右の者どもが帰着次第追って申し上げますが、先に聞いていることを別紙の書付で差し上げます。
「恐れながら口上の覚え」
1.ブルンセミの件は島違いです。聞いたところではウルチントウと申す島です。ブルンセミの件はウルチントウと申す島です。ブルンセミはウルチントウより北東に当りかすかに見えると聞いています。
1.ウルチントウ島の大きさは一日半廻りほどあるとのことです。もっとも高山にて田畑や大木などがあると聞いています。
1.ウルチントウへは江原道のエグハイという浦から南風で出帆すると聞いています。
1.ウルチントウへ通っている件、一昨年から出かけているのは間違いありません。
1.ウルチントウへ出かけている件、官衙では知らず、自分たちの稼ぎのためにでかけています。
右の外の件は、ハンビチャグが帰着次第聞いて重ねて委細を申し上げます(注2)。
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倭館の日本人通訳が、懇意にしている朝鮮人から聞いたという「ウルチントウ」は、発音からみてほぼ欝陵島(Ul Leung Do)をさすようです。次に「エグハイ」ですが、後の安龍福の口上書で彼の出発地である「寧海」にヨグホイとルビがふられたので、これは寧海(Yeong Hae)を指すとみられます。
中山が懇意にしている朝鮮人は、漁夫が寧海から欝陵島へ出かけていた事実などを的確につかんでいたようです。ただ、欝陵島に大木はあるにしても、同島には政府の空島政策がしかれていたので、田畑は荒廃して形をなさなかっただろうと思われます。この点ははずれているようです。
次にブルンセミですが、語尾のセミは島を意味する韓国語 Seom を聞取ったものと思われます。ブルンの意味や漢字表記は不明ですが、ブルンセミがウルチントウからかすかに見える島であるという証言は重要です。これは安龍福の証言とも微妙にからむだけに後述します。
この調査後「竹島一件」の交渉が始まるのですが、交渉相手である東莱府などは欝陵島付属の島をどうとらえていたでしょうか。それを示す資料が『竹島紀事』11月1日条に12月5日の記事として残されました。その資料は朝鮮の訳官が対馬藩の裁判・高瀬八右衛門に語ったのを記録したもので、こう書かれれました。
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首譯中(朝鮮訳官首席?)がこう云いました。日本で竹嶋というのは必ずや欝陵島のことであるが、そのように朝廷に言っては大事である。かの方角には三島があり、ひとつは欝陵島、ひとつは于山島という、ひとつは名前を言わなかった。この内いずれかを日本で竹嶋を云われている竹嶋と決め、他の島を朝鮮の欝陵島に用いれば、朝廷方のメンツも立つし、日本向けも首尾良く済むので、右の通り我々で相談して回答をした(注3)。
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(つづく)
6月5日、国元家老の杉村采女は、東莱の倭館に滞在していた通詞(通訳)の中山加兵衛に訓令を発し、下記事項を懇意の朝鮮人に内密に尋ねるよう命じました。それが『竹島紀事』8月23日条にこう記されました。
1.竹嶋は朝鮮でブルンセミと称している由であるが、ブルンセミはどのように書くのか、欝陵島という島があるが、これを下々ではブルンセミというのではないか。
日本では竹嶋のことを磯竹といっている。欝陵島とブルンセミは別の島なのか。ブルンセミを日本人が竹嶋といっているのは誰の話として聞いているのか。
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1.竹嶋は朝鮮のどの方角にあたり、どこからどの方向の風に乗り、海路はどれくらいで、島の大きさはどれくらいか。
この質問に対し、通訳の中山は6月13日付の書付で下記のように回答しました。
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今年もその島へ稼ぎのため釜山浦より商売船が3艘出かけたと聞いています。ハンビチャグという異国の者を加え、島の様子や諸事を見届け、海路に至るまで入念にと申し付けましたので、右の者どもが帰着次第追って申し上げますが、先に聞いていることを別紙の書付で差し上げます。
「恐れながら口上の覚え」
1.ブルンセミの件は島違いです。聞いたところではウルチントウと申す島です。ブルンセミの件はウルチントウと申す島です。ブルンセミはウルチントウより北東に当りかすかに見えると聞いています。
1.ウルチントウ島の大きさは一日半廻りほどあるとのことです。もっとも高山にて田畑や大木などがあると聞いています。
1.ウルチントウへは江原道のエグハイという浦から南風で出帆すると聞いています。
1.ウルチントウへ通っている件、一昨年から出かけているのは間違いありません。
1.ウルチントウへ出かけている件、官衙では知らず、自分たちの稼ぎのためにでかけています。
右の外の件は、ハンビチャグが帰着次第聞いて重ねて委細を申し上げます(注2)。
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倭館の日本人通訳が、懇意にしている朝鮮人から聞いたという「ウルチントウ」は、発音からみてほぼ欝陵島(Ul Leung Do)をさすようです。次に「エグハイ」ですが、後の安龍福の口上書で彼の出発地である「寧海」にヨグホイとルビがふられたので、これは寧海(Yeong Hae)を指すとみられます。
中山が懇意にしている朝鮮人は、漁夫が寧海から欝陵島へ出かけていた事実などを的確につかんでいたようです。ただ、欝陵島に大木はあるにしても、同島には政府の空島政策がしかれていたので、田畑は荒廃して形をなさなかっただろうと思われます。この点ははずれているようです。
次にブルンセミですが、語尾のセミは島を意味する韓国語 Seom を聞取ったものと思われます。ブルンの意味や漢字表記は不明ですが、ブルンセミがウルチントウからかすかに見える島であるという証言は重要です。これは安龍福の証言とも微妙にからむだけに後述します。
この調査後「竹島一件」の交渉が始まるのですが、交渉相手である東莱府などは欝陵島付属の島をどうとらえていたでしょうか。それを示す資料が『竹島紀事』11月1日条に12月5日の記事として残されました。その資料は朝鮮の訳官が対馬藩の裁判・高瀬八右衛門に語ったのを記録したもので、こう書かれれました。
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首譯中(朝鮮訳官首席?)がこう云いました。日本で竹嶋というのは必ずや欝陵島のことであるが、そのように朝廷に言っては大事である。かの方角には三島があり、ひとつは欝陵島、ひとつは于山島という、ひとつは名前を言わなかった。この内いずれかを日本で竹嶋を云われている竹嶋と決め、他の島を朝鮮の欝陵島に用いれば、朝廷方のメンツも立つし、日本向けも首尾良く済むので、右の通り我々で相談して回答をした(注3)。
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(つづく)
これは メッセージ 15731 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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