竹島

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

『朝鮮水路誌』のとらえ方、舩杉批判3

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/08/06 22:40 投稿番号: [15713 / 18519]
   1898(明治31)年、「韓国 松島沖」で遭難した漂民に関する公文書が長崎県知事より外務大臣などへ送られました。その翻刻文を(注6)に掲げますが、口語訳は次のとおりです。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
中房第八〇五號
   韓国の漂民送還報告
          韓国江原道平海欝陵島人
               白汝玉
               金乃益
               ・・・・・・
               内人七名
               小児七名
   右は韓暦三月十五日、釜山より平海欝陵島へ航行の途中、風波のため韓国松島沖に漂流中、四月十四日、同所を通過した露国汽船「ピータスボルグ」號に救助されたとのことで、長崎港の駐箚ロシア領事より右の漂民を韓国へ引渡すようにとの依頼が来たので、内務大臣に伺い出たところ、漂民取扱手続に準じて取りはからうべき旨の指令があったので、去る六日、右の漂民を本庁に引きうけることでロシア領事と協議の上、同国の費用を以て、翌七日に出帆のロシア汽船「バイカル」号で本国ヘ送還する事に決めた。
   かつ、ロシア領事の依頼に依り、在釜山の帝国領事に宛てて右漂民を韓国政府に引渡すことを取りはからう旨の書面を作り、バイカル号の船長に託して、同釜山領事に送付の為、当庁よりロシア領事ヘ送致する件に関し、この段をご報告します。
  追って 漂民を当庁にて引受後、バイカル号ヘ引渡す迄に要する費用は日本政府で負担すべきものと思考することを念の為に申し添えます。
  明治三十一年五月十六日
                            長崎県知事 小松原英太郎
  外務大臣男爵 西徳二郎殿
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   同様の文面の公文書が長崎県から内務省へも送られました。しかも、内務省警保局長の牧朴真は長崎県からの文書を外務省へ転送しました。牧朴真は後に農商務省に移りましたが、竹島=独島の「領土編入」に深くかかわった三羽がらすのひとりでした。そのかれが「韓国 松島」を確認したことは重要です。
   長崎県からの公文書に対し、外務省は日本政府が負担する費用に関して意見をつけました。両者間で費用問題をめぐってやりとりが何回かおこなわれましたが、それらの公文書において「韓国 松島」については何らの疑問もだされませんでした。

   ここで「韓国 松島沖」の位置ですが、釜山と欝陵島とを結ぶ航路において遭難しそうな「松島沖」は現在の竹島=独島沖以外には考えられません。もっとも、朝鮮半島沿岸に松島の名称を持った小さな島はいくつかありますが、いずれも遭難に結びつくような場所ではないし、また、日本の公文書で「松島沖」と書かれだけで場所が特定できるような島ではありません。沿岸の松島の場合だったら、場所の記述を松島沖とせず、場所を特定できるように浦項沖とか港の名前を書くのが一般的です。
   したがって外務省の公文書に書かれた「韓国 松島」は現在の竹島を=独島をさすと見て差しつかえありません。池内教授もそのような見方でした。
   それにしても不思議なのは、「松島」の名は誰の口から出たのでしょうか?   それは欝陵島民の口から出たとも思えません。おそらく、長崎県の担当者が遭難場所を聞いて、それを日本名に置きかえたのでしょうか。その際、欝陵島民は「松島」を何と呼んでいたのか、興味のあるところです。
(つづく)
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)