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『朝鮮水路誌』のとらえ方、舩杉批判1

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/08/06 22:25 投稿番号: [15711 / 18519]
   半月城です。

   舩杉氏は最終報告書において『朝鮮水路誌』の性格をどうとらえているのか、どうも矛盾しているようです。同氏は、『朝鮮水路誌』は朝鮮の「領土の範囲」を規定しているとみるのか、それとも単に朝鮮沿岸の水路を記述したにとどまっているとみるのか、それらがゴチャゴチャになっているようです。同氏はこう記しました。
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  ③『朝鮮水路誌』。明治27年(1894)水路部刊行。・・・
   この史料では、第一編総論の形勢のところで、朝鮮国の範囲を記している。朝鮮国の範囲、東限は東経130度35分と記している。『朝鮮水路誌』では、鬱陵島(中心)は東経130度53分・リアンコートルト列岩(現在の竹島)は東経131度55分としていることから、朝鮮国の東限は鬱陵島であり、現在の竹島は入っていないことが分かる(P153)。
  ・・・・・・
   また朝鮮国の東限は鬱陵島としており、現在の竹島は属島ではなく、単独の岩として記載しているのである。こうしたことから、水路部、ひいては日本政府は、竹島を朝鮮領とは認識していなかったことが分かる。海図や水路誌の作成目的は、航行の安全確保のためであった。「日本水路誌」には初期(明治初期から中期)の水路測量の項目で、海図、水路誌の作成目的を以下のように記している。「水路測量の業務は、その関係することが大きく、有事の際には艦の進退・兵備に過誤のないように、平時においては航路の安全に備えて、海図および水路誌を刊行することを目的とする。そのため有形・無形の水路を詳明し、諸種の海難を防ぎ、安心して航行・停泊を可能にする要具としたい」(海上保安庁水路部、1971)とある。
   また「水路部こそ日本の国境画定機関」との指摘(朴炳渉2005)や、水路部は「水路誌の編纂をとおして、日本における国境画定機関に成長しました」(注1)が、上記文献や海上保安庁での調査によれば、水路部は島嶼、岩礁など海図作製のための調査機関であり、「国境画定機関」ではないことは明白である。
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   舩杉力修氏は、水路部を「国境画定機関」ではないと考えるなら、水路誌から「日本政府は、竹島を朝鮮領とは認識していなかった」などと、領土と関連づけるような読みとり方をなぜするのでしょうか?
   しかもその論理には飛躍があります。明治「初期から中期」における水路誌の作成目的を単純に明治後期にまで延長し、水路部は<「国境画定機関」ではないことは明白である>と短絡的にとらえました。明治後期における水路部の役割には目もくれないようです。

   実は、水路部は東アジアでの測量をとおして水路や島嶼を熟知するようになった実績に立ち、明治後期である日清戦争のころには帝国主義国家の先兵として領土拡張に一役買うようになったのでした。
   その実例が竹島=独島の「領土編入」時における水路部の役割です。よく知られているように、島根県の中井養三郎が「りやんこ島領土編入 並 貸下願」を内務省などに提出する時にリヤンコ(竹島=独島)の所属を確かめた先が水路部でした。
   また、中井の請願書を紆余曲折の末に受けつけた内務省は「領土編入」を閣議にはかる際、関係書類として「水路部長の回答」を添付しました(注2)。この一連の過程において、水路部が竹島=独島を「無主地」と強弁したからこそ「領土編入」の閣議決定が可能になったのでした。このようにして水路部は日本の「実質的な国境画定機関」に成長したのでした。
(つづく)
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