日本外務省内の混乱と結論2
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/03/30 22:32 投稿番号: [1568 / 18519]
さらに同じ発想で、古来の松島(竹島=独島)に関して「ホルトネットロックスノ我国に属スルハ各国ノ地図皆然リ」と書きましたが、その根拠たるや笑止ものです。それでも中には、わらをもつかむ思いか、この記述を特筆する人もいるようなので、引導を渡すつもりで特に渡邊の他愛もない根拠を一応は紹介しておきます。
渡邊は外国の地図における色分けから松島、竹島および対馬の所属をまず一旦は下記のように理解しました。
1.英国の諸図
対馬(朝鮮色)、松島・竹島(朝鮮色)
2.仏(フランス)
対馬(朝鮮色)、松島・竹島(朝鮮色)
3.日耳曼ゴタ、スチーレルスノ図
対馬(日本色)、松島・竹島(日本色)
4.ウアイマル地理局図
対馬(日本色)、松島・竹島(朝鮮色)
この時期、対馬を朝鮮領にみていた地図がイギリスやフランスで出回っていたとは意外でした。そのような不正確な地図を渡邊は逆手にとり、こう記しました(注3)。
「英仏の対州(対馬)を合せて朝鮮色にせしは、対馬既に日本版図に相違なければ、したがいて松島 竹島も其の色を変ぜん。すなわちスチーレルノ図(ママ)はこの結果なるべし。いわんや、松島 竹島を以て伝う其の語は日本語なり。よって考うれば、この島は暗に日本所属と見なしたるべし」(現代かなづかいに変換)
要するに渡邊の説は、英仏の地図は対馬や竹島 松島を朝鮮領と同色で塗っているが、対馬が日本領なので、対馬と同じ色の竹島 松島も日本領であるべきで、日本色に塗り直すべきだ、また、松島 竹島という日本語の島名が使われているので「暗に日本所属」というもので、思わず噴きだしてしまうような珍説です。川上は、渡邊の意見は「透徹・明晰であって、まさに正鵠を得ている」と激賞していますが、私はこれが本当に外務省の局長の「卓見」かと疑いたくなります。
しかし、渡邊はさすがに自説が根拠薄弱と自認したのか「この島は暗に日本所属と見なしたるべし」と控えめな結論を書くにとどめました。そのうえで、事実を究明するために島根県等に問い合わせることと、艦船を派遣して現地調査することを提案しました。渡邊は「古今東西の記録、地理書、その他の資料に基づいて考証」しても、身近な島根県への問い合わせすら行わないで文章を書いたようです。
他方、古来の松島(竹島=独島)の所属を朝鮮領と考える伝統は外務省をはじめとする明治政府内でもちろん生きつづけていました。それは、外務省係官の出張報告(1870)「竹島 松島 朝鮮附属ニ相成候始末」や内務省ならびに太政官指令「竹島外一島」の放棄などにみることができます。こうした伝統にたってか、外務省公信局長・田邊太一はつぎのような意見書を提出しました(注2)。
「聞く、松島はわが邦人の命じた名前で、じつは朝鮮鬱陵島に属する于山である。于山が朝鮮に属するのは、旧政府(江戸幕府)のとき、葛藤を生じ、文書を往復した末に、永く公文書で我々は有しないと約束、記載した両国の史書にある」
(つづく)
渡邊は外国の地図における色分けから松島、竹島および対馬の所属をまず一旦は下記のように理解しました。
1.英国の諸図
対馬(朝鮮色)、松島・竹島(朝鮮色)
2.仏(フランス)
対馬(朝鮮色)、松島・竹島(朝鮮色)
3.日耳曼ゴタ、スチーレルスノ図
対馬(日本色)、松島・竹島(日本色)
4.ウアイマル地理局図
対馬(日本色)、松島・竹島(朝鮮色)
この時期、対馬を朝鮮領にみていた地図がイギリスやフランスで出回っていたとは意外でした。そのような不正確な地図を渡邊は逆手にとり、こう記しました(注3)。
「英仏の対州(対馬)を合せて朝鮮色にせしは、対馬既に日本版図に相違なければ、したがいて松島 竹島も其の色を変ぜん。すなわちスチーレルノ図(ママ)はこの結果なるべし。いわんや、松島 竹島を以て伝う其の語は日本語なり。よって考うれば、この島は暗に日本所属と見なしたるべし」(現代かなづかいに変換)
要するに渡邊の説は、英仏の地図は対馬や竹島 松島を朝鮮領と同色で塗っているが、対馬が日本領なので、対馬と同じ色の竹島 松島も日本領であるべきで、日本色に塗り直すべきだ、また、松島 竹島という日本語の島名が使われているので「暗に日本所属」というもので、思わず噴きだしてしまうような珍説です。川上は、渡邊の意見は「透徹・明晰であって、まさに正鵠を得ている」と激賞していますが、私はこれが本当に外務省の局長の「卓見」かと疑いたくなります。
しかし、渡邊はさすがに自説が根拠薄弱と自認したのか「この島は暗に日本所属と見なしたるべし」と控えめな結論を書くにとどめました。そのうえで、事実を究明するために島根県等に問い合わせることと、艦船を派遣して現地調査することを提案しました。渡邊は「古今東西の記録、地理書、その他の資料に基づいて考証」しても、身近な島根県への問い合わせすら行わないで文章を書いたようです。
他方、古来の松島(竹島=独島)の所属を朝鮮領と考える伝統は外務省をはじめとする明治政府内でもちろん生きつづけていました。それは、外務省係官の出張報告(1870)「竹島 松島 朝鮮附属ニ相成候始末」や内務省ならびに太政官指令「竹島外一島」の放棄などにみることができます。こうした伝統にたってか、外務省公信局長・田邊太一はつぎのような意見書を提出しました(注2)。
「聞く、松島はわが邦人の命じた名前で、じつは朝鮮鬱陵島に属する于山である。于山が朝鮮に属するのは、旧政府(江戸幕府)のとき、葛藤を生じ、文書を往復した末に、永く公文書で我々は有しないと約束、記載した両国の史書にある」
(つづく)
これは メッセージ 1567 (hangetsujoh さん)への返信です.
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