舩杉氏への批判?2
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2007/07/05 17:11 投稿番号: [15635 / 18519]
第二に、「数ある地図の中で松島と竹島の位置情報が詳細に記されている地図は磯竹島略図くらいしかないので、内務省はそれを参考にしたようです」というのもどうでしょうか。上記、勝海舟「大日本国沿海略図」一つをとっても、大変に詳細に記されているもので、他の地図を無視して「磯竹島略図」だけが詳細であるというのは理解に苦しみます。
もとより半月城さんは「大日本府県分轄図」において竹島・松島がアルゴノート・ダジュレーの位置に描かれたことは「たまたま」だと仰っていました。その「偶然の一致」の後付けをするためには、他の地図を無視してかなりのずれがある「磯竹島略図」に依存するしかないのかもしれません。
また、そもそも半月城さんの言うとおり太政官が竹島・松島を「磯竹島略図」の位置で考えたとして、その反映が地理局の「大日本府県分轄図」のアルゴノート・ダジュレーに一致する地理認識でうかがわれるとすると、いずれにしても、太政官の判断は「鬱稜島の位置にある松島までを放棄した」という結果に落ち着きそうです。
あるいは、そもそも、1880年には、松島=鬱稜島と確定しているわけで、そこに全てが収斂されているとも言えるでしょう。
以前にも私は何度も書いていますが、太政官は確かに竹島・松島を版図外としたけれども、そこに正確な地理的な理解は伴っておらず、結局、地理的には、具体的には朝鮮から鬱稜島までの島を版図外とした、ということができると思います。
そこに伝統的な竹島・松島の理解が反映されている以上、いささかの混乱は見受けられますが、いずれにしても、結論は松島=鬱稜島として、太政官判断後にすぐに定着することになった次第であったわけです。
これは メッセージ 15634 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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