Re: 于山島:日本人ハ松島ト名ク
投稿者: ararenotomo 投稿日時: 2007/04/22 23:00 投稿番号: [15540 / 18519]
take_8591さん、Am_I_AHO_1stさん、コメントを有難うございます。
お二人とも『朝鮮開化史』の于山島は欝陵島と考えておられるので、先ずそれについてお答えいたします。
『朝鮮開化史』「欝陵島」項の冒頭にある欝陵島の位置・沿革・島嶼の記述について句読点を入れて示します。「金崗山ノ一支、東海ニ入ル六十餘里、峙立シテ欝陵島トナル。一ニ蔚陵ト書ス。即チ、古ノ于山國ナリ。後、新羅ニ入ル。別名ハ武陵、羽陵、共ニ字音相近キニ因ル。大小六島アリ、其中著名ナルヲ于山島(日本人ハ松島ト名ク)・竹島ト云フ。」
『朝鮮開化史』の欝陵島島嶼の記述「大小六島アリ其中著名ナルヲ于山島(略)竹島ト云フ」と『皇城新聞』の「其附屬ノ小六島中デ最著者ハ于山島竹島ナリ」との間に、私は関連性を感じます。「大小六島アリ」と「小六島」、「其中著名ナルヲ」と「中デ最著者ハ」、「于山島竹島ト云フ」と「于山島竹島ナリ」とは、非常によく対応します。もし、恒屋盛服が独自にこれを書いたとすれば、その語句や構成が、『皇城新聞』の記事にこれほど似るでしょうか?私は、恒屋盛服は『皇城新聞』を見て書いたか、或は共通の資料から引用した、と考えました。
『朝鮮開化史』の「大小六島アリ」は、『皇城新聞』に「其(鬱陵島)附屬ノ小六島」とあるので、私は「(欝陵島附屬島ニ)大小六島アリ」と取りました。従って、于山島竹島はともに欝陵島の屬島となります。
ただしこの箇所は、欝陵島を含む「(欝陵島群ニ)大小六島アリ」とも取れます。しかしこの場合、「其中著名ナルヲ」の次は「于山島」ではなく、「欝陵島」とすべきでしょう。于山島は附属島の中では著名かもしれませんが、欝陵島を含めれば、「其中著名ナル」には、当然、主島の欝陵島が入るでしょう。「其中著名ナルヲ于山島 - - ト云フ」は于山島が欝陵島の附屬島であるからこそ、言えるのだと思います。
一方、古くから、于山島は鬱陵島と同じ島であるとの説もありました(『新増東國輿地勝覧』の一説)。1882年鬱陵島検察使に任命された李奎遠は、鬱陵島=芋山(于山)島と認識していました(No.3138)。そこで于山島=欝陵島として、欝陵島島嶼の記述を書き換えると「(欝陵島群ニ)大小六島アリ其中著名ナルヲ欝陵島(日本人ハ松島ト名ク)竹島ト云フ」となります。Am_I_AHO_1stさんが言ったように、日本人は欝陵島(竹島)を松島と名付けましたから、正にこの記述はピッタリです。Am_I_AHO_1stさんが「『朝鮮開化史』では于山島は附属の島ではなく鬱陵島そのものを指しているように思えますね。」と述べたのは、このことからと推察します。しかし、『朝鮮開化史』には欝陵島ではなく于山島と書かれています。恒屋盛服は、欝陵島の沿革で「古ノ于山國ナリ」「一ニ蔚陵ト書ス」「別名ハ武陵、羽陵」と記しましたが、そこに于山島の名は出てきません。彼は于山島を欝陵島とは別の島と考えていたと思います。
take_8591さんは、1901年当時「日本人は松島と名く」島は鬱陵島であり、于山島=鬱陵島と解しました。Am_I_AHO_1stさんが指摘したように、海軍は、独自の調査によって、それまでの竹島を公式に松島と命名しました。そして日本政府は、1883年の欝陵島への渡航禁止の通達で「日本称松島一名竹島朝鮮称蔚陵島」という表現を用いました。しかし『朝鮮開化史』は、于山島に対して「日本人は松島と名く」と註記したのであり、欝陵島に対し日本人は松島と云う、といった記述はありません。
于山島に註記された「日本人ハ松島ト名ク」に対して、私は、1878年外務省交信局長田邉太一が述べた「松島ハ我邦人ノ命セル名ニシテ朝鮮蔚陵島ニ属スル于山ナリ」を連想しました(No.14932)。両者には、于山・松島という共通の固有名詞があり、「我邦人ノ命セル名ニシテ」と「日本人ハ - - ト名ク」は同じ意味です。さらに『朝鮮開化史』は朝鮮欝陵(蔚陵)島の島嶼として于山島を記しています。従って私は、田邉太一が「古来の松島」を「于山島」と認識していたように、恒屋盛服『朝鮮開化史』は「于山島」を「古来の松島」と認識していたと考えます。
お二人とも『朝鮮開化史』の于山島は欝陵島と考えておられるので、先ずそれについてお答えいたします。
『朝鮮開化史』「欝陵島」項の冒頭にある欝陵島の位置・沿革・島嶼の記述について句読点を入れて示します。「金崗山ノ一支、東海ニ入ル六十餘里、峙立シテ欝陵島トナル。一ニ蔚陵ト書ス。即チ、古ノ于山國ナリ。後、新羅ニ入ル。別名ハ武陵、羽陵、共ニ字音相近キニ因ル。大小六島アリ、其中著名ナルヲ于山島(日本人ハ松島ト名ク)・竹島ト云フ。」
『朝鮮開化史』の欝陵島島嶼の記述「大小六島アリ其中著名ナルヲ于山島(略)竹島ト云フ」と『皇城新聞』の「其附屬ノ小六島中デ最著者ハ于山島竹島ナリ」との間に、私は関連性を感じます。「大小六島アリ」と「小六島」、「其中著名ナルヲ」と「中デ最著者ハ」、「于山島竹島ト云フ」と「于山島竹島ナリ」とは、非常によく対応します。もし、恒屋盛服が独自にこれを書いたとすれば、その語句や構成が、『皇城新聞』の記事にこれほど似るでしょうか?私は、恒屋盛服は『皇城新聞』を見て書いたか、或は共通の資料から引用した、と考えました。
『朝鮮開化史』の「大小六島アリ」は、『皇城新聞』に「其(鬱陵島)附屬ノ小六島」とあるので、私は「(欝陵島附屬島ニ)大小六島アリ」と取りました。従って、于山島竹島はともに欝陵島の屬島となります。
ただしこの箇所は、欝陵島を含む「(欝陵島群ニ)大小六島アリ」とも取れます。しかしこの場合、「其中著名ナルヲ」の次は「于山島」ではなく、「欝陵島」とすべきでしょう。于山島は附属島の中では著名かもしれませんが、欝陵島を含めれば、「其中著名ナル」には、当然、主島の欝陵島が入るでしょう。「其中著名ナルヲ于山島 - - ト云フ」は于山島が欝陵島の附屬島であるからこそ、言えるのだと思います。
一方、古くから、于山島は鬱陵島と同じ島であるとの説もありました(『新増東國輿地勝覧』の一説)。1882年鬱陵島検察使に任命された李奎遠は、鬱陵島=芋山(于山)島と認識していました(No.3138)。そこで于山島=欝陵島として、欝陵島島嶼の記述を書き換えると「(欝陵島群ニ)大小六島アリ其中著名ナルヲ欝陵島(日本人ハ松島ト名ク)竹島ト云フ」となります。Am_I_AHO_1stさんが言ったように、日本人は欝陵島(竹島)を松島と名付けましたから、正にこの記述はピッタリです。Am_I_AHO_1stさんが「『朝鮮開化史』では于山島は附属の島ではなく鬱陵島そのものを指しているように思えますね。」と述べたのは、このことからと推察します。しかし、『朝鮮開化史』には欝陵島ではなく于山島と書かれています。恒屋盛服は、欝陵島の沿革で「古ノ于山國ナリ」「一ニ蔚陵ト書ス」「別名ハ武陵、羽陵」と記しましたが、そこに于山島の名は出てきません。彼は于山島を欝陵島とは別の島と考えていたと思います。
take_8591さんは、1901年当時「日本人は松島と名く」島は鬱陵島であり、于山島=鬱陵島と解しました。Am_I_AHO_1stさんが指摘したように、海軍は、独自の調査によって、それまでの竹島を公式に松島と命名しました。そして日本政府は、1883年の欝陵島への渡航禁止の通達で「日本称松島一名竹島朝鮮称蔚陵島」という表現を用いました。しかし『朝鮮開化史』は、于山島に対して「日本人は松島と名く」と註記したのであり、欝陵島に対し日本人は松島と云う、といった記述はありません。
于山島に註記された「日本人ハ松島ト名ク」に対して、私は、1878年外務省交信局長田邉太一が述べた「松島ハ我邦人ノ命セル名ニシテ朝鮮蔚陵島ニ属スル于山ナリ」を連想しました(No.14932)。両者には、于山・松島という共通の固有名詞があり、「我邦人ノ命セル名ニシテ」と「日本人ハ - - ト名ク」は同じ意味です。さらに『朝鮮開化史』は朝鮮欝陵(蔚陵)島の島嶼として于山島を記しています。従って私は、田邉太一が「古来の松島」を「于山島」と認識していたように、恒屋盛服『朝鮮開化史』は「于山島」を「古来の松島」と認識していたと考えます。
これは メッセージ 15527 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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