今回はとびきり苦しいね〜
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/03/17 02:01 投稿番号: [1526 / 18519]
っていうか、意味不明なんだけど。
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王曰く「近ごろ、鬱陵島に他国人がたえず往来して、かれらが占拠するままになっている弊害がある。また松竹島と芋山島が鬱陵島近辺にあるが、相互の遠近や距離がどうであるか、またどんな物があるのかよくわからない・・・」
李奎遠曰く「謹んで力一杯奉公します。芋山島はすなわち鬱陵島で、芋山は昔の国都の名です。松竹島は一小島で鬱陵島との距離は30数里(1.2km)です。その産物は檀香と簡竹であるといいます」
王曰く「あるいは芋山島と称し、あるいは松竹島と称しているが、みな『輿地勝覧』の所産である。また松竹島と称するが、芋山島とあわせ3島をなしており、それらの通称名が鬱陵島である。そのありさまをよく検察せよ・・・」
李奎遠曰く「謹んで深く入って検察します。あるいは松島竹島と称する島が鬱陵島の東にありますが、これは松竹島のほかに松島竹島があるということではありません」
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王と李奎遠の芋山島認識にはすこし差があることが読みとれます。それを整理すると下記のようになります。
王 鬱陵島、芋山島、松竹島
李 鬱陵島=芋山島、松竹島=竹嶼島
そして、2回目の李の報告に対して王は、再調査を命じませんでした。即ち、李の報告に暗黙の了解をしたことになります。
ここで、
王、李 鬱陵島=芋山島、松竹島=竹嶼島
と認識が一致致しました。
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松竹于山などの島を現地に住む人たちは、みな近傍の小島をこれに当てている。しかるに根拠となる地図もなく、また案内の指標もない。晴れた日に高いところに登って遠くを眺めると千里を窺うことができたが、ひとかけらの石も一握りの土もなかった。すなわち鬱陵を于山と称するのは、済州を耽羅と称するごとくである
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そして、晴天の日に確認したところ、周りに島がないことがわかりました。耽羅、于山の両国を整理すると下記のようになります。
耽羅国=済州島+近傍の小島
于山国=鬱陵島+近傍の小島(竹嶼)
少なくとも19世紀末ころに于山が、鬱陵島+竹嶼と確認されたことがはっきりしました。
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王曰く「近ごろ、鬱陵島に他国人がたえず往来して、かれらが占拠するままになっている弊害がある。また松竹島と芋山島が鬱陵島近辺にあるが、相互の遠近や距離がどうであるか、またどんな物があるのかよくわからない・・・」
李奎遠曰く「謹んで力一杯奉公します。芋山島はすなわち鬱陵島で、芋山は昔の国都の名です。松竹島は一小島で鬱陵島との距離は30数里(1.2km)です。その産物は檀香と簡竹であるといいます」
王曰く「あるいは芋山島と称し、あるいは松竹島と称しているが、みな『輿地勝覧』の所産である。また松竹島と称するが、芋山島とあわせ3島をなしており、それらの通称名が鬱陵島である。そのありさまをよく検察せよ・・・」
李奎遠曰く「謹んで深く入って検察します。あるいは松島竹島と称する島が鬱陵島の東にありますが、これは松竹島のほかに松島竹島があるということではありません」
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王と李奎遠の芋山島認識にはすこし差があることが読みとれます。それを整理すると下記のようになります。
王 鬱陵島、芋山島、松竹島
李 鬱陵島=芋山島、松竹島=竹嶼島
そして、2回目の李の報告に対して王は、再調査を命じませんでした。即ち、李の報告に暗黙の了解をしたことになります。
ここで、
王、李 鬱陵島=芋山島、松竹島=竹嶼島
と認識が一致致しました。
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松竹于山などの島を現地に住む人たちは、みな近傍の小島をこれに当てている。しかるに根拠となる地図もなく、また案内の指標もない。晴れた日に高いところに登って遠くを眺めると千里を窺うことができたが、ひとかけらの石も一握りの土もなかった。すなわち鬱陵を于山と称するのは、済州を耽羅と称するごとくである
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そして、晴天の日に確認したところ、周りに島がないことがわかりました。耽羅、于山の両国を整理すると下記のようになります。
耽羅国=済州島+近傍の小島
于山国=鬱陵島+近傍の小島(竹嶼)
少なくとも19世紀末ころに于山が、鬱陵島+竹嶼と確認されたことがはっきりしました。
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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