Re: 三毛猫君に宿題
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2006/10/19 12:47 投稿番号: [15031 / 18519]
さて、愚生の論に対して三毛猫君が反駁して提示した資料が、そもそも誤った書誌情報によるものであり、愚生の発言には全く影響する反論と云えないことが明らかとなったので、有効な反論ではなかったと解釈して差し支えないだろう。右下の序文に関しては指摘のとおり、よく調べましたね。
三毛猫君はオリジナルの『改正 日本輿地路程全圖』を何故高く評価する必要があるのかを理解していないようだが、日本ではこの地図を原典として数多くの地図が刊行された、いわば大本の地図なのだから高く評価するのは当然のことと云って良い。また、このことは議論済なので詳述はしないが、オリジナルの記述から長久保赤水自身が『隠州視聴合記』を参照したものと判定されており、その意味で弘化三年版の改変は重要な意味を持つことになる。
さて、『改正 日本輿地路程全圖』弘化三年版以降、日本で発刊された地図には、鬱陵諸島(竹島と松島)を一括して隠岐の一部として扱うものが数多く現れるようになる。
(このことは現在では幾多のサイトでも確認できるので、特に資料の提示は割愛する。)
違った言い方をすれば、鬱陵諸島を隠岐の一部として扱う地図が数多く現れる原因となるのが、弘化三年版で行われたオリジナルの改変、つまり情報の劣化コピーにあったと見ることが出来る。
実はこのことが日本の領有意識に混乱を引き起こすことになる。それは全く根拠のない「島名の混乱説」などとは違い、事実として当時の日本にはあったものだ。
その混乱は明治維新によってピークを迎えるようになる。旧政府(幕府)の領有意識は朝鮮政府と同一のもの、つまり鬱陵諸島は一括して朝鮮のものであると認識していたが、新政府は当時一般に流布していた鬱陵諸島を一括して隠岐の一部とする俗信にも対処する必要があった。
文部省が行う地理教育の教科書にも、鬱陵諸島を一括して隠岐の一部とするものがあるなど、その混乱は政府部内にも及びはじめ、内務省からは鬱陵諸島の地籍編纂を行うことに関しての伺いが出たのもこの時期である。
しかしその当時には、旧政府の幕閣に所属していた実務者を招聘するなど、新政府内部でも一時的な混乱が収まりつつあった。
その様な状況下で太政官は、旧政府の認識を引き継ぎ、鬱陵諸島を一括して版図外とする結論を下すことになる。
ただし、この日本政府の決定は必ずしも徹底されなかった。
徹底された部署として代表的なものは、指令を直接受けた内務省地理寮であり、後に内務省地理局を経て陸軍陸地測量部に統合され、戦後は現在の国土地理院に継承されている。
ちなみに、国土地理院はつい最近まで竹島を日本の範囲に含めずに表示していた事実は、かつて愚生が指摘したところでもある。
海軍などは必ずしも徹底されなかった可能性があるが、これについては、今後考えていきたい。
一つ云えることは、かつて多くの日本人が不法に鬱陵島に侵入したことが知られているが、彼らの多くは、鬱陵諸島を一括して隠岐の一部とする俗信に惑わされていたことに、ほぼ間違いないだろうと考えられることだ。
つまり、国の決定に無知ではあったが、悪意はなかったと推定される。
三毛猫君はオリジナルの『改正 日本輿地路程全圖』を何故高く評価する必要があるのかを理解していないようだが、日本ではこの地図を原典として数多くの地図が刊行された、いわば大本の地図なのだから高く評価するのは当然のことと云って良い。また、このことは議論済なので詳述はしないが、オリジナルの記述から長久保赤水自身が『隠州視聴合記』を参照したものと判定されており、その意味で弘化三年版の改変は重要な意味を持つことになる。
さて、『改正 日本輿地路程全圖』弘化三年版以降、日本で発刊された地図には、鬱陵諸島(竹島と松島)を一括して隠岐の一部として扱うものが数多く現れるようになる。
(このことは現在では幾多のサイトでも確認できるので、特に資料の提示は割愛する。)
違った言い方をすれば、鬱陵諸島を隠岐の一部として扱う地図が数多く現れる原因となるのが、弘化三年版で行われたオリジナルの改変、つまり情報の劣化コピーにあったと見ることが出来る。
実はこのことが日本の領有意識に混乱を引き起こすことになる。それは全く根拠のない「島名の混乱説」などとは違い、事実として当時の日本にはあったものだ。
その混乱は明治維新によってピークを迎えるようになる。旧政府(幕府)の領有意識は朝鮮政府と同一のもの、つまり鬱陵諸島は一括して朝鮮のものであると認識していたが、新政府は当時一般に流布していた鬱陵諸島を一括して隠岐の一部とする俗信にも対処する必要があった。
文部省が行う地理教育の教科書にも、鬱陵諸島を一括して隠岐の一部とするものがあるなど、その混乱は政府部内にも及びはじめ、内務省からは鬱陵諸島の地籍編纂を行うことに関しての伺いが出たのもこの時期である。
しかしその当時には、旧政府の幕閣に所属していた実務者を招聘するなど、新政府内部でも一時的な混乱が収まりつつあった。
その様な状況下で太政官は、旧政府の認識を引き継ぎ、鬱陵諸島を一括して版図外とする結論を下すことになる。
ただし、この日本政府の決定は必ずしも徹底されなかった。
徹底された部署として代表的なものは、指令を直接受けた内務省地理寮であり、後に内務省地理局を経て陸軍陸地測量部に統合され、戦後は現在の国土地理院に継承されている。
ちなみに、国土地理院はつい最近まで竹島を日本の範囲に含めずに表示していた事実は、かつて愚生が指摘したところでもある。
海軍などは必ずしも徹底されなかった可能性があるが、これについては、今後考えていきたい。
一つ云えることは、かつて多くの日本人が不法に鬱陵島に侵入したことが知られているが、彼らの多くは、鬱陵諸島を一括して隠岐の一部とする俗信に惑わされていたことに、ほぼ間違いないだろうと考えられることだ。
つまり、国の決定に無知ではあったが、悪意はなかったと推定される。
これは メッセージ 15030 (mikenekonomanma さん)への返信です.
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