Re: 太政官指令後の竹島=独島認識(2)
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/07/18 22:15 投稿番号: [14779 / 18519]
>その後、竹嶼の名は 1894年版の『朝鮮水路誌』にも「欝陵島(一名 松島)」の項目の中に記されました。「竹島」の名はありません。一方、現在の竹島=独島は「リアンコールト列岩」の名で同書に記されました。この島がかつて松島と呼ばれていたという知見が水路部にはなかったようです。
堀氏の論文まで引用して半月城さんが何を仰りたいのかどうにも意味が分からなかったのですが、太政官と外務省・海軍の理解はそれぞれ一致しておらず別ものであるということでしょうか。
私の質問にある「天城の調査と太政官判断の整合性をいかに図るか」については半月城さんの見方は「整合性は関係なし。太政官判断は太政官判断。島根の資料はどう見ても鬱陵島・竹島だ」に尽きるのだと理解いたします。
では、内務省地理局「大日本府県分轄図」(1881)をどう考えるか、という私の二番目の質問につきあたることになります。(この地図については9509で提示された地図の4ページ目参照。)これは無視ですか。
また、太政大臣三条実美が1883年に鬱陵島を松島(一名竹島)としていることの整合性も無視なさっています。私には「太政官判断だけは別なのだ」となさる半月城さんの話がどうしても理解できないのです。
半月城さんは、前後の資料はすべて無視して「島根県の資料はまさに鬱陵島・竹島に見える」から、太政官は鬱陵島・竹島を放棄したとすべきと仰っているに過ぎないようです。
そして、外務省・海軍・陸軍・文部省の地図や記述は太政官判断とは別もので、1881年の内務省地理局の地図も関係がないと。
太政官たるもの鬱陵島=竹島、リアンクール岩=松島と分からなかったはずがない。そう仰る半月城さんの理解は、私の理解の限界の幅をいささか超えたものであると言えそうです。
>この理屈をそのまま朝鮮の南方へ適用すると、朝鮮の南の限界は『朝鮮水路誌』で北緯33度15分とされたので、朝鮮の限界は済州島までであり、その南にある韓国領の馬羅島(北緯33度7分)などは含まれないことになります。
距離があまりに違いますよ。馬羅島は位置から見て明らかに済州島の附属の島と考えられる島でしょう。済州島に含められたと考えて違和感はありません。
リアンクール岩をそれに比定するのはなんとも乱暴な話です。朝鮮の東の限界は鬱陵島であった、と素直に読めばよろしいことです。
仰りたいことは、つまり「朝鮮水路誌」は日本政府の考える朝鮮の領土を規定するものであり、しかも「総記」は小島を無視した概略値に過ぎず、本文に言及があるから朝鮮領であると理解していたことは「疑いない」ということでしょうか。
あまり説得力があるとも思えません。
私は「朝鮮領の範囲を示すのではなく、航行の安全確保」が目的とする舩杉助教授の見方が普通であると思いますよ。当時の日本として明確な領有意識がなかったリアンコールト列岩についてその航行の問題から朝鮮水路誌に言及されたことは違和感がありません。
この際、領土を規定するのは基本的には総記に則るべきです。
また、リアンクールは無主地であったからこそ、後に日本は竹島を領土編入したのでしょう。堀氏にせよ半月城さんにせよ「朝鮮水路誌」(しかも本文での言及のみ)に則ってリアンクールを朝鮮領と規定するのは、ちょっと「ごり押し」に過ぎるのではないでしょうか。
堀氏の論文まで引用して半月城さんが何を仰りたいのかどうにも意味が分からなかったのですが、太政官と外務省・海軍の理解はそれぞれ一致しておらず別ものであるということでしょうか。
私の質問にある「天城の調査と太政官判断の整合性をいかに図るか」については半月城さんの見方は「整合性は関係なし。太政官判断は太政官判断。島根の資料はどう見ても鬱陵島・竹島だ」に尽きるのだと理解いたします。
では、内務省地理局「大日本府県分轄図」(1881)をどう考えるか、という私の二番目の質問につきあたることになります。(この地図については9509で提示された地図の4ページ目参照。)これは無視ですか。
また、太政大臣三条実美が1883年に鬱陵島を松島(一名竹島)としていることの整合性も無視なさっています。私には「太政官判断だけは別なのだ」となさる半月城さんの話がどうしても理解できないのです。
半月城さんは、前後の資料はすべて無視して「島根県の資料はまさに鬱陵島・竹島に見える」から、太政官は鬱陵島・竹島を放棄したとすべきと仰っているに過ぎないようです。
そして、外務省・海軍・陸軍・文部省の地図や記述は太政官判断とは別もので、1881年の内務省地理局の地図も関係がないと。
太政官たるもの鬱陵島=竹島、リアンクール岩=松島と分からなかったはずがない。そう仰る半月城さんの理解は、私の理解の限界の幅をいささか超えたものであると言えそうです。
>この理屈をそのまま朝鮮の南方へ適用すると、朝鮮の南の限界は『朝鮮水路誌』で北緯33度15分とされたので、朝鮮の限界は済州島までであり、その南にある韓国領の馬羅島(北緯33度7分)などは含まれないことになります。
距離があまりに違いますよ。馬羅島は位置から見て明らかに済州島の附属の島と考えられる島でしょう。済州島に含められたと考えて違和感はありません。
リアンクール岩をそれに比定するのはなんとも乱暴な話です。朝鮮の東の限界は鬱陵島であった、と素直に読めばよろしいことです。
仰りたいことは、つまり「朝鮮水路誌」は日本政府の考える朝鮮の領土を規定するものであり、しかも「総記」は小島を無視した概略値に過ぎず、本文に言及があるから朝鮮領であると理解していたことは「疑いない」ということでしょうか。
あまり説得力があるとも思えません。
私は「朝鮮領の範囲を示すのではなく、航行の安全確保」が目的とする舩杉助教授の見方が普通であると思いますよ。当時の日本として明確な領有意識がなかったリアンコールト列岩についてその航行の問題から朝鮮水路誌に言及されたことは違和感がありません。
この際、領土を規定するのは基本的には総記に則るべきです。
また、リアンクールは無主地であったからこそ、後に日本は竹島を領土編入したのでしょう。堀氏にせよ半月城さんにせよ「朝鮮水路誌」(しかも本文での言及のみ)に則ってリアンクールを朝鮮領と規定するのは、ちょっと「ごり押し」に過ぎるのではないでしょうか。
これは メッセージ 14778 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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