竹島

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おまけ(要約)

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/07/18 23:02 投稿番号: [14780 / 18519]
流れ:
1867年   勝海舟「大日本国沿海略図」(アルゴノート・ダジュレーが竹島・松島)
1875年   陸軍参謀局「朝鮮全図」(鬱陵島が二つに分かれて竹島・松島)
1877年   文部省「日本全図」(鬱陵島が二つに分かれて竹島・松島)
1877年   太政官判断(島根の資料類は鬱陵島・竹島をうかがわせる[距離は出鱈目])
1878年   軍艦天城による実測調査あり。竹島=竹嶼、松島=鬱陵島
1880年   軍艦天城の調査で竹嶼が竹島、鬱陵島が松島。
1881年   内務省地理局「大日本府県分轄図」(アルゴノート・ダジュレーが竹島・松島[島根県には含まれず])
1881年   内務省が外務省に鬱陵島照会。外一島資料添付。反応なし。
1883年   鬱陵島渡航禁止
1883年   太政大臣三条実美、同上令において「北緯37度30分、東経130度49分に位置する日本称する松島、一名竹島、朝鮮称する鬱陵島」と記録。

以上、1878年までは日本政府で竹島・松島の地理的な理解について必ずしも一定した理解があったわけではないようですが、さて、こうした状況の中、

半月城氏の理解:1877年の太政官判断は太政官が鬱陵島=竹島、リアンクール岩=松島と正しく理解したものである。判断において資料となった資料類に鬱陵島・竹島が反映されているように見えるから。他省の地図などとは合わないことについては、太政官判断と外務省・海軍・陸軍・文部省・内務省地理局の理解は別ものである。太政官たるもの判断を誤るはずがない。1881年に内務省が外務省に鬱陵島の照会をしたとき、反応はなかった。外務省も内務省の正しさを認識したのであろう(?)。

アヒルの理解:地理的理解の一定しなかった当時において分かることは、太政官が竹島と松島を版図外とした事実のみ。島根の資料が「現在の目で」どの島に見えるかはこの時点においては問題にはならない。太政官が版図外としたと考えうる二島の位置は前後の資料からアルゴノートとダジュレーと考えるのが妥当。その二島はのちに正式に鬱陵島(松島)・竹嶼(竹島)に比定されることとなる。1881年に内務省が外務省に鬱陵島の照会をしたときも当然、反応ははあるわけもない。1881年の地理局の地図はアヒルの理解の裏づけにもなる。
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