竹島

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太政官指令後の竹島=独島認識3

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2006/07/17 22:37 投稿番号: [14775 / 18519]
   たったこれだけの記述から「朝鮮国の東の境界を鬱陵島と認識していた」と主張しているようですが、そうだとすると、これは重箱の隅をつつくようなアラ探しといわざるを得ません。
   この理屈をそのまま朝鮮の南方へ適用すると、朝鮮の南の限界は『朝鮮水路誌』で北緯33度15分とされたので、朝鮮の限界は済州島までであり、その南にある韓国領の馬羅島(北緯33度7分)などは含まれないことになります。
   こうした簡単な指摘からもわかるように、「総記」の経度や緯度は小島を無視した概略値を示したものにすぎません。そうした小島が範囲に含まれるのかどうかは、具体的に本文を見ればすぐわかることです。
  『朝鮮水路誌』の本文では、前に書いたように竹島=独島は「リアンコールト列岩」の名で取りあげられました。もし「リアンコールト列岩」が朝鮮に無関係であるなら、本文に取りあげられるはずもありません。このように「総記」の経度や緯度は主要な島を表記したにすぎないとみるべきではないでしょうか。
   また、舩杉助教授は『朝鮮水路誌』に関して、これは「朝鮮領の範囲を示すのではなく、航行の安全確保」が目的としていますが、同氏は水路誌の歴史をよくご存じないようです。水路誌は、歴史的な領土の範囲と密着して作成されてきました。それを堀和生氏はこう記しました。
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  海図は地理的な認識を示すだけなので、海図中の島の所属については、その解説書たる水路誌を重視しなければならない。
  日本海軍は、八〇年三月より全世界を対象とした『寰瀛(かんえい)水路誌』の編纂を始めた。そのうちの露韓編である第二巻第二版(一八八六年)には、欝陵島とリヤンコールト列岩が載せられている。しかし、これは世界の水路誌であるが故に、その所属の決め手にはならない。
  ところが、八九年三月その『寰瀛水路誌』の編纂は中止され、日本を中心とした東北アジア海域を重視する方針に転換した。まず、日本領海を他と区別して『日本水路誌』として独立させ、九二年から順次刊行していった。
  この水路誌には、九五年の下関条約による日本の新領土台湾や澎湖島、さらにほ千島列島最北端の占守島まで載せられているが、反面台湾の対岸やカムチャッカ半島は全然含まれていない。すなわち、この『日本水路誌』の扱う範囲は、あくまで日本の領土・領海に限定されていたのである。
  そして重視すべきは、この水路誌の日本海のところで、リャンクール島=独島に全く触れていない点である。当時の日本の海図には、同島は正確に位置づけられており、その所在を知らなかったわけではない。
  図2のとおり(注5)、この水路誌の一八九七年版の付図と、同島を日本に領土編入した後の水路誌の付図を対照させれば、事態は明白である。即ち、一九〇〇年時点で日本の海軍水路部当局は、明らかに同島を日本領から除いていたのである。
  そして他方、日本海軍の   『朝鮮水路誌』一八九四年版と九九年版には、欝陵島と並んでリアンコールト列岩が載せられている。つまり一九世紀末に、日本海軍の水路部当局が竹島=独島を朝鮮領だと認識していたことは、疑いのないところである。
  以上要するに、明治維新以後日本の政府が、竹島=独島に独自の関心を示したことは全くなかった。そして、認識の程度に強弱はあっても、日本政府の関係諸機関のすべてが、同島を欝陵島と合わせて朝鮮領だとみていたことは明らかなことであった(注1)。
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(つづく)
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