太政官指令後の竹島=独島認識2
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2006/07/17 22:18 投稿番号: [14773 / 18519]
なお、天城は竹島=独島にはついに立ち寄らなかったようでした。それでも水路部は両島の位置をイギリスから提供された海図により正確に把握していたようで、堀和生氏はこう記しました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
日本の海軍が主に依拠していた英国版の海図では、六〇年代既に二島の所在が確定していた。そのため、日本の海軍も七〇年代末にはその点を充分認識していたようで、八〇年代の日本製の海図には二島が正確に画かれていた。
しかし、海図は地理的な認識を示すだけなので、海図中の島の所属については、その解説書たる水路誌を重視しなければならない(注1)。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
外務省が欝陵島を「今日の松島」と呼んだことからわかるように、同島の名は、その位置を測量した海軍水路局が松島と呼んだことことから、次第に「松島」の呼び名が主流になっていきました。
海軍は竹島(欝陵島)の歴史にうとかったのか、あるいは世間の趨勢にしたがったのか、欝陵島を当初から松島とよんでいたようです。そして欝陵島のすぐ東にある竹嶼をどうやら「竹島」であると混同していたようです。北澤正誠はこう記しました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
明治十三年 天城艦の再び松島に航するに及び海軍少尉 三浦重郷等 親しく其地に至り 実見測量するに及び 該島東岸に假泊の地を発見し 又 松島は古代韓人称する處の欝陵島にして 他に竹島と称する者あるも サイジたる小島に過ぎざるを知り 事情愈明了なり由(注2)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
三浦少尉が画いた略画で「松島 一名 欝陵島」の東に「竹嶼 Boussole Rk」と記されましたが(注4)、「竹嶼」の名は、あるいは三浦少尉の早合点によって名づけられたのかも知れません。竹嶼の名は、島根県士族・戸田敬義の欝陵島への渡海願い「竹島渡海ノ儀」に付属する詳細な地図にすらないようです。
その後、竹嶼の名は 1894年版の『朝鮮水路誌』にも「欝陵島(一名 松島)」の項目の中に記されました。「竹島」の名はありません。一方、現在の竹島=独島は「リアンコールト列岩」の名で同書に記されました。この島がかつて松島と呼ばれていたという知見が水路部にはなかったようです。
最近、この『朝鮮水路誌』に関する「新事実」の報道が注目されます。これについても書くことにします。山陰中央新報(7/12)は「竹島領有権で新事実」と題してこう記しました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
国立国会図書館が今春、朝鮮水路誌をインターネット上で公開したのを機に、島根大学法文学部の舩杉力修助教授(歴史地理学)が調べたところ、冒頭の総記で、朝鮮国の東の境界は「東経130度35分」と記していることを確認。位置関係から、鬱陵島を指しているのが分かった。
・・・
水路誌や海図について、島根県の竹島問題研究会の委員を務める舩杉助教授は「水路部は大前提として、朝鮮国の東の境界を鬱陵島と認識していた」と強調。
http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=797329006
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
朝鮮国の東の限界が鬱陵までで、竹島=独島が含まれないという根拠は『朝鮮水路誌』の「総記」にあるとのことなので、その部分を下記にぬき出しました。ただし、カタカナは平仮名に変換しました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
総記
形勢
朝鮮国は亜細亜の東部にあり 其地勢たる狭長なる一大半島を成し 数多の島嶼 之を圍繞す 其位置は北緯三三度一五分より同四二度二五分 東経一二四度三〇分より同一三〇度三五分に至る・・・
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
(つづく)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
日本の海軍が主に依拠していた英国版の海図では、六〇年代既に二島の所在が確定していた。そのため、日本の海軍も七〇年代末にはその点を充分認識していたようで、八〇年代の日本製の海図には二島が正確に画かれていた。
しかし、海図は地理的な認識を示すだけなので、海図中の島の所属については、その解説書たる水路誌を重視しなければならない(注1)。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
外務省が欝陵島を「今日の松島」と呼んだことからわかるように、同島の名は、その位置を測量した海軍水路局が松島と呼んだことことから、次第に「松島」の呼び名が主流になっていきました。
海軍は竹島(欝陵島)の歴史にうとかったのか、あるいは世間の趨勢にしたがったのか、欝陵島を当初から松島とよんでいたようです。そして欝陵島のすぐ東にある竹嶼をどうやら「竹島」であると混同していたようです。北澤正誠はこう記しました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
明治十三年 天城艦の再び松島に航するに及び海軍少尉 三浦重郷等 親しく其地に至り 実見測量するに及び 該島東岸に假泊の地を発見し 又 松島は古代韓人称する處の欝陵島にして 他に竹島と称する者あるも サイジたる小島に過ぎざるを知り 事情愈明了なり由(注2)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
三浦少尉が画いた略画で「松島 一名 欝陵島」の東に「竹嶼 Boussole Rk」と記されましたが(注4)、「竹嶼」の名は、あるいは三浦少尉の早合点によって名づけられたのかも知れません。竹嶼の名は、島根県士族・戸田敬義の欝陵島への渡海願い「竹島渡海ノ儀」に付属する詳細な地図にすらないようです。
その後、竹嶼の名は 1894年版の『朝鮮水路誌』にも「欝陵島(一名 松島)」の項目の中に記されました。「竹島」の名はありません。一方、現在の竹島=独島は「リアンコールト列岩」の名で同書に記されました。この島がかつて松島と呼ばれていたという知見が水路部にはなかったようです。
最近、この『朝鮮水路誌』に関する「新事実」の報道が注目されます。これについても書くことにします。山陰中央新報(7/12)は「竹島領有権で新事実」と題してこう記しました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
国立国会図書館が今春、朝鮮水路誌をインターネット上で公開したのを機に、島根大学法文学部の舩杉力修助教授(歴史地理学)が調べたところ、冒頭の総記で、朝鮮国の東の境界は「東経130度35分」と記していることを確認。位置関係から、鬱陵島を指しているのが分かった。
・・・
水路誌や海図について、島根県の竹島問題研究会の委員を務める舩杉助教授は「水路部は大前提として、朝鮮国の東の境界を鬱陵島と認識していた」と強調。
http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=797329006
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
朝鮮国の東の限界が鬱陵までで、竹島=独島が含まれないという根拠は『朝鮮水路誌』の「総記」にあるとのことなので、その部分を下記にぬき出しました。ただし、カタカナは平仮名に変換しました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
総記
形勢
朝鮮国は亜細亜の東部にあり 其地勢たる狭長なる一大半島を成し 数多の島嶼 之を圍繞す 其位置は北緯三三度一五分より同四二度二五分 東経一二四度三〇分より同一三〇度三五分に至る・・・
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
(つづく)
これは メッセージ 14772 (ban_wol_seong さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14773.html