竹島

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太政官指令後の竹島=独島認識4

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2006/07/17 22:39 投稿番号: [14776 / 18519]
   海軍水路部は、戦争によって新たに獲得した領土を日本の『水路誌』に組み入れるのに際し、どこまでが日本領であるのか、正確に知る必要がありましたが、そうした『水路誌』の編纂をとおして、水路部は日本における国境画定機関に成長しました。
   1904年、竹島=独島を朝鮮領と信じていた隠岐の中井養三郎が同島の所属を最終確認したのも水路部でした(注1)。また、1905年、内務省が竹島=独島を領土編入を閣議にはかる際、竹島=独島の所属に関する水路部長の回答書を添付しました(注6)。水路部が実質的な国境画定機関になりました。

   その水路部が竹島=独島など朝鮮領の区分けを『水路誌』においていかに行ったのか、その変遷はすでに下記に書いたとおりです。1905年以前、水路部は竹島=独島を朝鮮領として扱ったことは明白です。
  半月城通信<明治の国境画定機関の竹島=独島認識と『水路誌』>
http://www.han.org/a/half-moon/hm103.html#No.754

(注1)堀和生「一九〇五年 日本の竹島領土編入」『朝鮮史研究会論文集』第24号 1987
  影印版は(注5)
  原著注(25)「内務書記官 西村捨三の外務省書記官宛照会」外務省記録3824 外務省外交史料館所蔵
(注2)「朝鮮國蔚陵島ヘ邦人渡航禁止ノ件」附屬書二、北澤正誠「竹島版圖所屬考」『日本外交文書』第14巻 P390,1951(原文はカタカナ)
(注3)同上書における天城の記述
  「海軍水路局の水路雑誌に拠れば 明治十一年六月 海軍少佐 松村安種 天城艦を以て朝鮮海へ回航の際 其乗員 海軍大尉山澄直清   海軍少尉補小林春三   同福地邦鼎等と松島に赴き吉田中尉は正午 本艦の所在を実測し 北緯三十七度四十八分を得 又 午前七時五十八分に大陽高度を測りて本艦所在の東経一百三十度三十二分を得」
(注4)北澤正誠『竹島考證』下、内閣文庫「外務省記録」
(注5)堀和生「一九〇五年 日本の竹島領土編入」影印版
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/shiryou/ronbun/hori1987.pdf
(注6)『公文類聚』第29編、明治38年、巻一

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
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