「独島」という名前の由来
投稿者: uyokujanaimonn 投稿日時: 2006/07/15 21:43 投稿番号: [14767 / 18519]
おそらく19世紀末に朝鮮人が日本漁船で労働者として雇われ、竹島海域での漁労に従事するようになり、この頃に、朝鮮人漁民の間ではじめてリアンクール(今日の竹島)を「独島(ドクト)」と呼ぶようになったのだろう。
下條教授の前掲書にこうある。
「リャンコ島が韓国側で独島と呼称されるのは、1904年9月25日付けの軍艦新高の日誌に『韓人之を独島と書し、本邦漁夫等略してリアンコ島と称せり』と記されているように、1904年ごろからである。」(前掲書、p.114)
現在の韓国政府や韓国マスコミは、「独島」が朝鮮で古くから普及していた呼称であるかのごとく語っているが、それでは2重に矛盾が起こってくるのだ。
第一に、ではなぜ1900年の「勅令41号」は、当時国際的に共通呼称として皆に知れ渡っていた「リアンクール」や「リャンコ」等の名称を用いず、また、自分たちの古くからの呼び名だと主張する「独島」の名すら用いずに、「石島」と記したのか。これはまったく道理に合わない。(単に韓国が石島=独島とデタラメを言い張っているにすぎないのだが、笑)
第二に、1900年の「大韓帝国勅令41号」発布の約1月前、1900年9月23日付け『皇城新聞』(朝鮮の新聞)は鬱陵島に付属する島について「小六島中で最も顕著な島は、于山島と竹島」と報じたとされるのだが、なぜリアンクール(リャンコ)とも「独島」とも書かれていないのか、まったく道理に合わない話だ。(ここに「竹島」とあるのは、鬱陵島の東側に隣接する小さな島のことで、リアンクールとは無関係。そもそも、リアンクールに竹島の名が付されたのは、1905年の島根県編入以降のことである。)(下條教授、前掲書p.115)
「独島」の名前は、たしかに19世紀末に朝鮮人漁民や漁業労働者の間で、リアンクールのことという認識で用いられていた可能性は高い。しかし、当時の朝鮮政府(大韓帝国政府)がその島を領土として認識していた可能性はまったくなかったことが以上のことからも明らかだろう。100歩譲って考えてみて、当時の漁民の間での「民衆的な認識」(国際法上の領土の認識とは全然関係のない、民衆レベルの思い込み)としては、安龍福による勘違い・錯覚に基づいた「于山島=日本の松島」と同じく、19世紀末の朝鮮民衆レベルには「独島=リアンクール=朝鮮領」の思い込み(民衆的認識としての領土観)はあったかも知れない。しかし、上で見たとおり、当時の朝鮮政府や朝鮮メディアは、むしろそうした民衆の思い込みとしての領土認識(←断っておくがそれは私が勝手に想像してみただけ)を、真っ向否定している形になっている。
喩えて言うとこういうことだろう。今、日本に迷信的な世界観を奉じる政治結社があったとして、それが「ハワイは日本の領土」と勝手に主張していたとしよう。何十年かたって、気がつくとそれが政府の公式の見解になってしまっていて、それがためにアメリカとマジの領土紛争を起こす原因になってしまった・・・・・といったことが、韓国における「独島は我が領土」運動なのです。「日本海」を否定して「東海」にするというデタラメ民族運動も本質的には同じです。
韓国の政治に興味のある学生なら、これを見ておられるプロの研究者でもいいですが、そのあたりのこと(民間信仰や民衆の思い込み・錯覚が、民族主義運動を通じて、いつのまにか政府の公式見解となり、政府の重要政策になっていくプロセス)を研究テーマにしたらいいと思います。
下條教授の前掲書にこうある。
「リャンコ島が韓国側で独島と呼称されるのは、1904年9月25日付けの軍艦新高の日誌に『韓人之を独島と書し、本邦漁夫等略してリアンコ島と称せり』と記されているように、1904年ごろからである。」(前掲書、p.114)
現在の韓国政府や韓国マスコミは、「独島」が朝鮮で古くから普及していた呼称であるかのごとく語っているが、それでは2重に矛盾が起こってくるのだ。
第一に、ではなぜ1900年の「勅令41号」は、当時国際的に共通呼称として皆に知れ渡っていた「リアンクール」や「リャンコ」等の名称を用いず、また、自分たちの古くからの呼び名だと主張する「独島」の名すら用いずに、「石島」と記したのか。これはまったく道理に合わない。(単に韓国が石島=独島とデタラメを言い張っているにすぎないのだが、笑)
第二に、1900年の「大韓帝国勅令41号」発布の約1月前、1900年9月23日付け『皇城新聞』(朝鮮の新聞)は鬱陵島に付属する島について「小六島中で最も顕著な島は、于山島と竹島」と報じたとされるのだが、なぜリアンクール(リャンコ)とも「独島」とも書かれていないのか、まったく道理に合わない話だ。(ここに「竹島」とあるのは、鬱陵島の東側に隣接する小さな島のことで、リアンクールとは無関係。そもそも、リアンクールに竹島の名が付されたのは、1905年の島根県編入以降のことである。)(下條教授、前掲書p.115)
「独島」の名前は、たしかに19世紀末に朝鮮人漁民や漁業労働者の間で、リアンクールのことという認識で用いられていた可能性は高い。しかし、当時の朝鮮政府(大韓帝国政府)がその島を領土として認識していた可能性はまったくなかったことが以上のことからも明らかだろう。100歩譲って考えてみて、当時の漁民の間での「民衆的な認識」(国際法上の領土の認識とは全然関係のない、民衆レベルの思い込み)としては、安龍福による勘違い・錯覚に基づいた「于山島=日本の松島」と同じく、19世紀末の朝鮮民衆レベルには「独島=リアンクール=朝鮮領」の思い込み(民衆的認識としての領土観)はあったかも知れない。しかし、上で見たとおり、当時の朝鮮政府や朝鮮メディアは、むしろそうした民衆の思い込みとしての領土認識(←断っておくがそれは私が勝手に想像してみただけ)を、真っ向否定している形になっている。
喩えて言うとこういうことだろう。今、日本に迷信的な世界観を奉じる政治結社があったとして、それが「ハワイは日本の領土」と勝手に主張していたとしよう。何十年かたって、気がつくとそれが政府の公式の見解になってしまっていて、それがためにアメリカとマジの領土紛争を起こす原因になってしまった・・・・・といったことが、韓国における「独島は我が領土」運動なのです。「日本海」を否定して「東海」にするというデタラメ民族運動も本質的には同じです。
韓国の政治に興味のある学生なら、これを見ておられるプロの研究者でもいいですが、そのあたりのこと(民間信仰や民衆の思い込み・錯覚が、民族主義運動を通じて、いつのまにか政府の公式見解となり、政府の重要政策になっていくプロセス)を研究テーマにしたらいいと思います。
これは メッセージ 14766 (uyokujanaimonn さん)への返信です.
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