『蔚陵島事蹟』以後の竹島=独島認識1
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2006/05/28 21:06 投稿番号: [14505 / 18519]
半月城です。
昨年ソウル郊外に移転した韓国の国立中央博物館は、独島特別展に合わせて資料集『行ってみたい我が地、独島』(30,000ウォン)を発刊しました。
230ページからなる資料集は、貴重な竹島(鬱陵島)渡海免許書の写真など一次資料に近い史料を多く掲載していて目をひきます。
また、史料『蔚陵島事蹟』の核心となる文の写真も出版物では初めて見るだけに注目されます(注1)。この史料は「竹島一件」当時、朝鮮王朝の蔚陵島(欝陵島)調査団が竹島=独島を直接確認しただけに資料価値が際立ちます。
調査団が派遣されるようになった背景や、張漢相が竹島=独島をどのように確認したのかは下記に記したとおりなので、ここでは省略します。
半月城通信<「竹島一件」と竹島=独島再確認>
http://www.han.org/a/half-moon/hm094.html#No.687
朝鮮政府が公式に竹島=独島を確認したことや、民間人である安龍福が竹島=独島へ結果的に二度も渡航し、二度目は日朝両国で「松島はすなわち子山島、これまた我が国の地」であると強く主張したことにより、朝鮮では于山島に対する認識が一変しました。
それまでの古い文献では于山島があいまいだったり、地図でも古いものは于山島が欝陵島の西にあったり南にあったり様々で、于山島認識の実態がそのまま浮き彫りにされました。
そのため、塚本孝氏は「朝鮮古文献にみえる于山(島)はその実は鬱陵島にあった于山(国)に由来する観念上の存在であった(注2)」と記したくらいでした。
そうした認識が「竹島一件」を機に様変わりしました。竹島(鬱陵島)をめぐる日朝の領土交渉は寝た子を起こしたようなものでした。朝鮮で東海の地理に関する知識が実際の渡航によりにわかに豊富になった結果、官撰書の『東国文献備考』(1770)などにみられるように「輿地志がいうには 鬱陵 于山は皆 于山国の地 于山はすなわち倭がいうところの松島なり」と明確に認識されるようになりました。
(つづく)
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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