「島根県竹島報告書」に異議あり4
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2006/04/09 20:46 投稿番号: [12713 / 18519]
その竹島の命名も、内務省から島根県へ、それから島根県から隠岐島司に依頼した結果であるが、名づけ親の隠岐島司は、竹島・松島にかかる過去の歴史を完全に無視して、海図が鬱陸島を松島と記しており、竹島といっているのは「誤称」であるとして、新島は松島に対する竹島とするがよいと回答した。これに対して隠岐島庁でも島根県庁でも、誰一人として異論を申し出る者もなく決まったというのは、この当時、地元の隠岐の人にさえ、リヤンコ島についての認識がなかったことを表明するエピソードであり、固有領土というには余りにもかけ離れた話である。
そしてもっとも重要なことは、中井としては、リヤンコ島を韓国領であるとばかりに信じて、韓国政府に貸下請願するつもりで上京したということである。中井だけではなく、この当時、海軍水路部も鬱陸島とリヤンコ島は韓国領であると認識して、『朝鮮水路誌』に記載して、『日本水路誌』には記していなかった。申請書を提出した内務省地方局でも、「韓国領地ノ疑アル莫荒タル一箇不毛ノ岩礁ヲ収メテ、環視ノ諸外国二我ガ国ガ韓国併呑ノ野心アルコトノ疑ヲ大ナラシムル」といって、中井の申請を却下したのである。
そうした疑問を無視して、敢えて中井に申請書を提出させ、強引に領土編入にまでもちこんだ背景こそ明らかにされなければならないはずである。それは言及しないですまされる問題ではない。
いうまでもなく、申請した当時は日露戦争のさなかである。日本海は、ロシアのウラジオ艦隊やパルチック艦隊との海戦が想定されていた海域であり、リヤンコ島がもつ軍略上での役割は注目されていた。
だからこそ、中井の申請を好機と考えた海軍省の肝付兼行水路部長は、リヤンコ島の所属については確乎とした証拠があるわけではないが、リヤンコ島は日本の方が朝鮮よりも近いのであるからといって、これを全く無所属の島であると断定した。中井は、「肝付将軍断定二頼リテ本島ノ全ク無所属ナルコトヲ確カメタリ」と記している。さらに肝付水路部長は、中井が前年からリヤンコ島でアシカ漁をはじめたことをもって、リヤンコ島に 「移住」して、「同島経営に従事セルモノアル以上ハ」として、「無主地先占」の理論を使って領土に編入することを提案した。
外務省の山座円次郎政務局長からも、「時局ナレバコソ領土編入ハ急務トスルナリ」とけしかけられ、外交上では何ら問題はなく、韓国領ではないかと疑われている島を領有化することは、諸外国に日本は韓国を併呑する野心があるのではないかという疑念をもたせることになるのではないかとする内務省の心配は無用であるという発言をもらっている。この時山座局長は、リヤンコ島に望楼を設けて海底電線で結べば「敵艦監視上極メテ屈竟ナラズヤ」とまで述べているのである。すでに鬱陵島には2か所の望楼が建設され、韓国本土の日本海軍淀泊地の竹辺洞との間の海底電信線も、九月二十五日には完成したところである。その直後の九月二十九日に中井の申請が出されたのであるから、軍部が色めきたったのも当然といえる。日本海軍は、鬱陸島での望楼建設工事に関連して、リヤンコ島の軍事的利用の調査をしており、その利用価値に注目していた(堀和生『朝鮮史研究会論文集』第24号)。
http://www.han.org/a/half-moon/shiryou/ronbun/hori1987.pdf
中井を海軍の肝付水路部長に紹介したのは、農商務省の牧朴眞水産局長であった。牧局長に会うことができたのは、水産局に隠岐出身の藤田勘太郎がいたからである。藤田とともに牧局長に面会した中井は、リヤンコ島でのアシカ漁の話をしたところ、牧はリヤンコ島は必ずしも韓国領ではないのではないかと疑念を述べて、海軍水路部でリヤンコ島の所属を確認させたのである。前述したように、リヤンコ島は『日本水路誌』にはなく、『朝鮮水路誌』に掲載してあるとの報告を受けたはずであるが、肝付水路部長は全く無所属の島であると断定した。
牧水産局長は、一八九八年(明治三十一)以来、その職に在り、遠洋漁業の奨励に尽力し、一九〇二年(明治三十五)には朝鮮水産組合を設立するなどして、日本漁民の朝鮮海出漁を積極的に推進してきていた。中井の申請書を見て、「本島(リヤンコ島)ハ本邦ヨリ隠岐列島及ビ鬱陸島ヲ経テ、朝鮮江原咸鏡地方二往復スル船舶ノ航路二当レリ、……今日駿々乎トシテ盛運二向ヒツツアル処ノ本邦江原咸鏡地方二対スル漁業貿易ヲ稗益スル所少カラズシテ、本島経営ノ前途最モ必要二被存候……」と朝鮮東海岸への進出を考えていること、まさに我が意を得たりと思ったに相違なく、中井の行動を応援する背景になったといえる。
(つづく)
そしてもっとも重要なことは、中井としては、リヤンコ島を韓国領であるとばかりに信じて、韓国政府に貸下請願するつもりで上京したということである。中井だけではなく、この当時、海軍水路部も鬱陸島とリヤンコ島は韓国領であると認識して、『朝鮮水路誌』に記載して、『日本水路誌』には記していなかった。申請書を提出した内務省地方局でも、「韓国領地ノ疑アル莫荒タル一箇不毛ノ岩礁ヲ収メテ、環視ノ諸外国二我ガ国ガ韓国併呑ノ野心アルコトノ疑ヲ大ナラシムル」といって、中井の申請を却下したのである。
そうした疑問を無視して、敢えて中井に申請書を提出させ、強引に領土編入にまでもちこんだ背景こそ明らかにされなければならないはずである。それは言及しないですまされる問題ではない。
いうまでもなく、申請した当時は日露戦争のさなかである。日本海は、ロシアのウラジオ艦隊やパルチック艦隊との海戦が想定されていた海域であり、リヤンコ島がもつ軍略上での役割は注目されていた。
だからこそ、中井の申請を好機と考えた海軍省の肝付兼行水路部長は、リヤンコ島の所属については確乎とした証拠があるわけではないが、リヤンコ島は日本の方が朝鮮よりも近いのであるからといって、これを全く無所属の島であると断定した。中井は、「肝付将軍断定二頼リテ本島ノ全ク無所属ナルコトヲ確カメタリ」と記している。さらに肝付水路部長は、中井が前年からリヤンコ島でアシカ漁をはじめたことをもって、リヤンコ島に 「移住」して、「同島経営に従事セルモノアル以上ハ」として、「無主地先占」の理論を使って領土に編入することを提案した。
外務省の山座円次郎政務局長からも、「時局ナレバコソ領土編入ハ急務トスルナリ」とけしかけられ、外交上では何ら問題はなく、韓国領ではないかと疑われている島を領有化することは、諸外国に日本は韓国を併呑する野心があるのではないかという疑念をもたせることになるのではないかとする内務省の心配は無用であるという発言をもらっている。この時山座局長は、リヤンコ島に望楼を設けて海底電線で結べば「敵艦監視上極メテ屈竟ナラズヤ」とまで述べているのである。すでに鬱陵島には2か所の望楼が建設され、韓国本土の日本海軍淀泊地の竹辺洞との間の海底電信線も、九月二十五日には完成したところである。その直後の九月二十九日に中井の申請が出されたのであるから、軍部が色めきたったのも当然といえる。日本海軍は、鬱陸島での望楼建設工事に関連して、リヤンコ島の軍事的利用の調査をしており、その利用価値に注目していた(堀和生『朝鮮史研究会論文集』第24号)。
http://www.han.org/a/half-moon/shiryou/ronbun/hori1987.pdf
中井を海軍の肝付水路部長に紹介したのは、農商務省の牧朴眞水産局長であった。牧局長に会うことができたのは、水産局に隠岐出身の藤田勘太郎がいたからである。藤田とともに牧局長に面会した中井は、リヤンコ島でのアシカ漁の話をしたところ、牧はリヤンコ島は必ずしも韓国領ではないのではないかと疑念を述べて、海軍水路部でリヤンコ島の所属を確認させたのである。前述したように、リヤンコ島は『日本水路誌』にはなく、『朝鮮水路誌』に掲載してあるとの報告を受けたはずであるが、肝付水路部長は全く無所属の島であると断定した。
牧水産局長は、一八九八年(明治三十一)以来、その職に在り、遠洋漁業の奨励に尽力し、一九〇二年(明治三十五)には朝鮮水産組合を設立するなどして、日本漁民の朝鮮海出漁を積極的に推進してきていた。中井の申請書を見て、「本島(リヤンコ島)ハ本邦ヨリ隠岐列島及ビ鬱陸島ヲ経テ、朝鮮江原咸鏡地方二往復スル船舶ノ航路二当レリ、……今日駿々乎トシテ盛運二向ヒツツアル処ノ本邦江原咸鏡地方二対スル漁業貿易ヲ稗益スル所少カラズシテ、本島経営ノ前途最モ必要二被存候……」と朝鮮東海岸への進出を考えていること、まさに我が意を得たりと思ったに相違なく、中井の行動を応援する背景になったといえる。
(つづく)
これは メッセージ 12712 (ban_wol_seong さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/12713.html