竹島≠独島、この点をごまかすな
投稿者: uyokujanaimonn 投稿日時: 2006/03/25 18:17 投稿番号: [12616 / 18519]
韓国側の主張は、「于山島」が現竹島のことだと証明できなければ全て崩れる。そして、韓国の古文書自体が「于山島は鬱陵島の別名」と記し(三国史記)、1530年に朝鮮で発行された『八道総図』という地図では、于山島は鬱陵島の西にあることになっているなど、于山島(国)は想像上の島か、まさに鬱陵島そのものにすぎず、完全に論拠を失ってしまっている。
その結果、于山と呼ぶかわりに「独島」という代替名称を用いるようになった。「独島は于山のことだから同じことだ」とでも韓国人は言うかも知れないが、そうではない。于山を古文書の世界に格納してしまって、表面から隠すという操作がここにはある。
その第一の理由は、まさに于山を日本領現竹島と等号で結ぶこじつけが学問的にも破綻してしまったからだ。
そして第二の理由は、韓国の一般国民に対するイデオロギー操作の必要からだ。すなわち、まず「于山は竹島ではない」という事実を一般国民から隠すために、于山を古文書の世界に格納し、そのうえで「一般人にはよくわからない難しい古文書に真実が記されている」という幻想(韓国御用学者がデッチ上げた解釈に基づく)を韓国政府は国民に信じ込ませる。他方で、「とにかく独島は韓国領土」という教義をメディアを通じて毎日唱えさせ、それ以外の発言を封殺してしまうことで科学的思考力を麻痺させるわけだ。これによって、たとえ日本のニュースや専門家の口から「于山は竹島ではない」という事実を聞かされても、「それは独島のことを言っているのではない」と自己欺瞞でごまかしやすくなるわけだ。
もともと、他人のものを何でも自分のものとするためにジョーカーとして捏造された「独島」なる名称が、半世紀ものあいだ言論統制をやっていると、いつのまにか(くだらない国でも立派に見えていてほしいと願う)韓国人の意識のなかでは、むしろ現実の実在の島になってしまっている。そして、「于山は竹島ではなかった」という真実の歴史学の言葉にも知らん顔でいられるようになってしまったというわけだ。この本末転倒(現実と幻想の入れ替わり)こそイデオロギー操作のなせるわざであり、特に、自分の国のくだらない現実から目を背け、幻想的に少しでも立派に思い込みたい韓国国民は、実に簡単に引っかかってしまうのだ。
ban_wol_seong氏のような投稿者が一生懸命に「竹島=独島」と書かざるをえない理由は以上のようなわけである。彼のような投稿者は、この等式を「自明のこと」「証明の必要のないこと」のように、読者がそれとなくやり過ごすことを願っており、本人はそうやって、日本人読者にまで何の根拠もないこの等式を、あたかも元々そうであったかのように思い込ませるイデオロギー工作でも行っているつもりなのだろう。
その結果、于山と呼ぶかわりに「独島」という代替名称を用いるようになった。「独島は于山のことだから同じことだ」とでも韓国人は言うかも知れないが、そうではない。于山を古文書の世界に格納してしまって、表面から隠すという操作がここにはある。
その第一の理由は、まさに于山を日本領現竹島と等号で結ぶこじつけが学問的にも破綻してしまったからだ。
そして第二の理由は、韓国の一般国民に対するイデオロギー操作の必要からだ。すなわち、まず「于山は竹島ではない」という事実を一般国民から隠すために、于山を古文書の世界に格納し、そのうえで「一般人にはよくわからない難しい古文書に真実が記されている」という幻想(韓国御用学者がデッチ上げた解釈に基づく)を韓国政府は国民に信じ込ませる。他方で、「とにかく独島は韓国領土」という教義をメディアを通じて毎日唱えさせ、それ以外の発言を封殺してしまうことで科学的思考力を麻痺させるわけだ。これによって、たとえ日本のニュースや専門家の口から「于山は竹島ではない」という事実を聞かされても、「それは独島のことを言っているのではない」と自己欺瞞でごまかしやすくなるわけだ。
もともと、他人のものを何でも自分のものとするためにジョーカーとして捏造された「独島」なる名称が、半世紀ものあいだ言論統制をやっていると、いつのまにか(くだらない国でも立派に見えていてほしいと願う)韓国人の意識のなかでは、むしろ現実の実在の島になってしまっている。そして、「于山は竹島ではなかった」という真実の歴史学の言葉にも知らん顔でいられるようになってしまったというわけだ。この本末転倒(現実と幻想の入れ替わり)こそイデオロギー操作のなせるわざであり、特に、自分の国のくだらない現実から目を背け、幻想的に少しでも立派に思い込みたい韓国国民は、実に簡単に引っかかってしまうのだ。
ban_wol_seong氏のような投稿者が一生懸命に「竹島=独島」と書かざるをえない理由は以上のようなわけである。彼のような投稿者は、この等式を「自明のこと」「証明の必要のないこと」のように、読者がそれとなくやり過ごすことを願っており、本人はそうやって、日本人読者にまで何の根拠もないこの等式を、あたかも元々そうであったかのように思い込ませるイデオロギー工作でも行っているつもりなのだろう。
これは メッセージ 12595 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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